「朝日新聞が新成人中傷」 浦安市長が社長に抗議文

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060113-00000097-kyodo-soci

 千葉県浦安市は13日、同市が東京ディズニーランド(TDL)で行った成人式についての朝日新聞のコラムが「本市の新成人に対する中傷だ」として、謝罪や掲載に至った経緯などの説明を求める市長、教育長名の抗議文を同社長あてに郵送した、と発表した。
 同紙の10日付夕刊の1面コラム「素粒子」は、成人式について「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」とシニカルに書いている。
 浦安市は「新成人が自ら実行委員会を立ち上げ、皆で考えて作りあげた式だったのに『ネズミ踊り』という表現は配慮が足りない」としている。
 式はTDLで約40分間行われ、そのうち5分間程度、ミッキーマウスなどのキャラクターがショーに出演したという。
共同通信

映画プリキュアで10回泣いといてアレだが、「大人ってなんだ?」と言うことである。コラムに対して目くじら立てる市長さんも大人げないし、もちろん、成人の日だっつってんのにディズニーランドに集う新成人も大人じゃない。記者は記者で、テレビなんかでそのように編集された報道を鵜呑みにして、「この先が思いやられる」と思い、そのまま何の省察もなしに全国紙でコラム書いてしまうというのは、大人として情けない。

先日、21歳くらいの女の子と飲みの席に同席する機会があったのだが、その子が何の前触れもなく、飲み始めて20分くらいで、唐突に、涙を流しだした。「ええ〜っ」である。

聞くと、たった今、届いたメールで、失恋したのだという。「知らんがな」であるが、まあ微細聞こうとすると、話したくないと。「じゃあ泣くな」であるが、この、カギカッコ内のツッコミ風の独り言は、すべてこちらの甘えによるものだ。その時、全部、口に出していったけどねこれ。

で、しばらくそんなことを繰り返していると、その子が「成長できたんだ。成長だ」と教典を読むようにつぶやき始めた。イライラ! 「ちょっと待て」と。「そんな、別れた男のおかげで成長したと思う方が悔しいではないか」と(口語で)質したところ、頑としてNO。いやいやいや、とまで口にして、ハタと気が付いた。これ以上言うと、ただのオヤジの説教だと。

このことを今思い出して、思うのだが、すべての説教って、甘えに基づいているよねということだ。20年前に書かれた『甘えの構造』に書いてあるのかもしれないけど。ガキを自分の論理で諭そうとする行為自体、どうしようもなくガキなのである。ちょうど、食玩などの「大人買い」が、100%ガキの思想に彩られているのと同じである。大人買いと言えば、ディズニーランドでの成人式自体、実行委員会などによる「大きな大人買い」だとも言えるね。

結論じみたことを言うと、大人というのは、だから、相対的なものなのだろう。じゃあどうなれば「相対的に大人」なのか。ここで、相対させる二者を、経験者/非経験者とすることは問題だろう。「経験」こそは、絶対的な大人というものが存在するという「大人幻想」の産み落とした幻影だからである。日本社会に置いて、本当の「成人」は、成人式ではもちろんなく、「就職」を指していると思うのだが、「就職」を境に、その人間がこれまで(取捨)選択してきた全ての「個性」は「経験」になる。あるいは「経験」としての価値を求められる。しかし右乳首から母乳を吸うか、左乳首かというようなところからスタートする子供の「個性」はそのようにできておらず、それを大人の言うとおりのものに「すりあわせる」ことで、幻想としての「大人」像に近づこうと努力するわけだ。その、「すりあわせ」のキーワードは、「ノスタルジー」ではないか。

先日、風呂屋に行こうと家を出て、他人の家のゆうげの匂いを嗅いでノスタルジックな心持ちになったときに気づいたのだが、子供の頃の記憶自体、別にノスタルジックに歪曲されているわけではない。子供の頃、冬の夕暮れに他人の家のゆうげの匂いを嗅いだとき、子供の私は既に「ノスタルジックな気持ち」を感じていたのである。そのノスタルジーは、親を含む大人が、そのことを意識しないまま「幻想上の大人」を演じている世界における、子供の頃の私にとっては避けようのない「現実」だったのだ。

話がそれ書けているので戻すと、市長・記者・新成人、三者の「子供」がこのニュースには登場するわけだが、市長と記者は、幻想上の「大人」を、大人だと信じ込んでおり、手遅れである。残った、新成人、彼らは、成人式という同窓会のようなものを楽しむという「子供の役割」を果たしているだけだ。「子供の役割」というのは、上で述べたとおり、「大人幻想」を建造するべく「大人のノスタルジーを生きる」という行為である。

二十年後、今年の新成人の何人かは、偶然か必然か、ディズニーランドという象徴的な舞台で起こったこのニュースを思い出すだろう。どう思い出すかというと、言わずもがなである。