ベストスール
昨日は双恋をみたあと、『24』セカンドシーズンを4話分見た。六時間目まで。**:54:40とかになると、さあ今回はどんなとんでもない形で次回へバトンタッチしてくれるのかという気持ちの持ち上がりがあり、こうきたかー! と仰向けに倒れて終わる。アメリカ人になった気がして楽しい。
映画『アイデンティティ』にはあっと驚くどんでん返しが用意されている。見た人にしか分からない物言いで申し訳ないが、紀宮さまのご婚約も、同じギミックなのではないだろうか。
ただし、映画と違って、「私たち自身の」それなのでは。
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マリみての癖でつい「紀宮さま」と書いていたら、「→紀宮様」だとキーワードに訂正された。そういえばグラン・スールの美和子さまは妹の慶事について何かコメントしたのだろうか。
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今日は朝帰宅して、HDDに余裕があったので8本録画した番組を潰し中。
新時代の霊能力者・江原啓之。ホンモノ!(スーパーテレビ情報最前線)
キャンドルライトが素敵!(ラストクリスマス)
朝マックさえ食えば、こんなにも穏やかな気持ちでTVをウォッチングできるのだ。合衆国万歳。スーパーサイズ・ミー!
穏やかなままBJと内Pとファンタジックチルドレンと月詠を見て寝よう。
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というわけで『ブラックジャック』を見ている。
ブログ、日記で「〜をする」といった表現や体言止めを使用するときにどこかしら抵抗を覚えるのはなぜだろう。まず、書いている時から見たら過去のはずなのに、というのがある。でもまあそれは。他にも原因があるはずだ。
例えば
と書いたならば、少なくとも「る」と句点の間に一つ、「俺」というのが隠れている。体言止めならば、
午後四時、流行りのカフェで限定20個の苺タルト。
と書いたとき、読者には苺タルトとツーショットの「俺」の絵が示されるわけである。「流行りのカフェ」、上の「渋谷」「シネマライズ」なども同じ。
生活の、ある場合は思考の流れが、寸断されているわけである。もちろん覚醒時間の全てを綴るわけにはいかないのだが、どうしても他人向け「俺」造りのための編集作業を思わせる、その「ハサミ感」が、気持ち悪さの原因ではないかと思う俺。
そうして示される「俺」というのは広義で「ウソ」に違いなく、日記・ブログというのは流行りの「オレオレ詐欺」なのである。
(このあとは、BJのテロップから責任逃れの話を挿み、流行語に則して波田陽区のノミネート三語から「切腹」が抜け落ちていることに対する不満、流行語=殺語という確認。アイデンティティで締めてもいい)