1.ある日

 

 どこでもいい。緑色のマーカーで適当な大きさの円を描けば、そこには多くの物語の舞台となる東京中心部の地図ができあがる。JR山手線。もしオレンジ色のマーカーも持っていたら、二分するようにして横線を引いてみたらいい。同じくJR中央線のできあがり。その単純明解な地図の左側で緑とオレンジが交差している部分が新宿だ。「不夜城」と呼ばれる歌舞伎町があるのは東口、芸人なら誰もが憧れるお笑いの聖地「ルミネ・ザ・よしもと」があるのが南口(ルミネ口)、そして小田急や京王、地下鉄の出入り口も集中している西口から徒歩で三分ほどの場所に、ここ、ヨドバシカメラがある。カメラはもちろん、家電なら何でも揃う。夜十時まで開いているのも競合店にはない魅力の一つだ。ホームレス対策の意味もあるのか、閉店後も店頭には煌々と明かりが灯っている。本当に真昼のような明るさだ。

 ヨドバシカメラの向かいは長距離バスのターミナルになっており、新宿の血液とも言える田舎者たちを日夜運んでいる。今は最終の長野行きから始発の新潟行きまでの短い休息のため、シャッターが下ろされ照明も落とされている。向かって左側に、アサヒ、アサヒ、サントリーコカ・コーラ、各社のエース級だと思われる、十三から十四の商品を三段に構えた自販機が四基並んでおり、異様な存在感を放っている。

 その全基に千円札を投入。スタンバイ・オーケーです、という声が聞こえてきそうな、近未来風のビジュアルだ。右端、コカ・コーラのものの下段、左端のボタンを押す。がとん、という音。スタンダードな赤い缶が取り出し口に落ちたはずだ。

 間を置かずその隣のボタンを押す。がとん、さっきより低く聞こえたのは気のせいだろうか、少し黒ずんだ、カロリー半分を売り文句にしている赤い缶が落ちたはずだ。

 がとん、がとん、ごて、ごて、ごと。

 千円を入れる。うぃー。こと、びー。詰まってしまったのか、落下音がしなくなったが、気にせずボタンを押す。びー、びー、びー。

 上の段。びー、びー、びー、びー、びー、びー、びー。

 うぃー、千円投入。ぼえー、戻ってくる。うぃー。びー、びー、びー、びー、びー。びー。

 上の段。びー、びー、びー、びー、びー、びー、びー、びー、びー、びー、びー、びー。

 隣の基。がとん。小さな青い缶だ。がとん、青い缶。ぼてん、緑色のペットボトル。ぼてん、ぼてん、ぼて、ぼて。うぃー、びー、びー、びー、びー、びー。

 がとん。うぃー、がとん、ごてん、ぼて、びー、びー、びー。

 うぃー、ぼえー、うぃー。ぼてん、ぼてん、ぼてん、かとん、こてん。

 ごへんごへん、ごへんごへん、東口と西口を隔てる大ガード付近から、薄く、始発の山手線の音が聞こえてきた。早く作業を終わらせよう。

  

 極限まで伸びた赤いビニール紐を極限まで短く結んだカードを首に巻き付けて朝顔を見ながら色の薄いアスファルトの道を歩いているラジオ体操帰りの風景が、時間にカウントできないくらい短くフラッシュバックして、夏の朝の匂いを嗅いだのだと思った。ヨドバシカメラの前に設置された、座るには中途半端な高さの赤と白のガードレールに足をぶらつかせて腰掛け、携帯電話の画面を見る。二十分程前、名前だけはよく知っていた巨大掲示板に新たに立てたスレッドには、信じられないことに、百を越えるレスポンスが付いていた。中には「age」「sage」とだけ書かれたものも多い。詳しくは知らないが、きっとageは応援、sageは非難しているのだろう。

 ちらほらと人影が見え始めたので少し離れようと、百メートルほど先にあるコンビニへ向かった。素知らぬ顔で、どれだけ近づいても人影でしかない人影とすれ違う際に「神」という言葉が聞こえて、こんな「祭り」に集まるなんて馬鹿だとは思うが、こいつらは皆、愛すべき存在だと思った。コンビニの前で振り返ると、自販機の前にはちょっとした人だかりができていた。


  

 携帯の充電が切れそうなのでネットカフェにでも入って経過を見ようかと東口に移動して来た。ラーメン屋が十数軒並ぶ細い通りには、耳からも息を吐き出したくなるような異臭が立ちこめている。昼間ここに行列を作っていた東京中の「ラーメン乞食」たちの腹の中も、今ごろ同じ匂いで充満しているのだろう。

 生ぬるい空気がぐらりと揺れ、駅の方を振り返ると胸の高さを滑空してくる、カラスが見えた。

 咄嗟に右足を出した。

 フットサル用に作られた薄っぺらいアディダス製スニーカーの土踏まずの辺りに柔らかさと重さを感じ、航空ショーの壮絶な事故映像の形態模写でもするようにしてゴミ臭い水で濡れた黒いアスファルトに激突するカラスの姿が、右の肩越しに見えた。

 下ろした足を見るとジーンズとショートソックスの隙間に引っ掻き傷ができていて、少し恐怖を覚える。猫に引っ掛かれても悪い菌が入り込むかもしれないというのに、カラスの爪にはどんなアブないのが棲んでいるか知れたものではない。辺りを見回す。青いゴミ収集車と出勤明けらしい水商売絡みの男女が歩いているだけだ。誰も俺のクリティカルヒットの目撃者にはなっていないらしい。

 よたよたと起き上がり、くえ、くえと痰の絡んだような声でうめくカラスにゆっくりと歩み寄り、プロレス選手のように大げさな仕草で蹴る。痰の絡んだような悲鳴が、首が折れて喉が塞がれているためだろう、肉の中でくぐもった響きとして足に伝わる。路肩の排出口に足が挟まって、まさにサンドバッグ状態になったそれを、思いに任せて蹴る。足の甲で。内側、外側で。踵で。爪先で。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。就。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。職。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。難。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。蹴。

 ばち、と音がして足がもげ、舞台は再びアスファルト上へと移った。デューク更家流のウォーキング技法を拝借して、踵から下ろし、足の外側を通って母子球の辺りに体重を流す。鶏肉の部位で言うところのムネの辺りから顔面へ、ワン、ツー、ワン、ツー。踏みつける。十回目くらいのツーで左の目玉が飛び出した。へその緒のようなものが付着したまま、とろりと地面に垂れ落ちる様子が二十四時間前に部屋で食った黒豆納豆そっくりなそれを、コンビニのレジで五十円玉を落としたときのように素早く、爪先で踏みつける。プチ、という感触を予想していたが、実際はギョリ、という心地よいとは言えないものだった。

 足の甲で前に押しやると、アスファルトの表面を擦るズズザという音を引きずって五十センチほど動いた。ズズザ、ズザ、ズズズザ、サッカーのドリブルのようにして前進する。目指すべきゴールを探してルックアップするとすぐにおあつらえ向きのが見つかったのでそのまま前かがみになって右足を頭の位置よりも高く引き、やつのすぐ脇にまっすぐ添えた左足をかすめるようにして、体重を載せた渾身のインステップシュートをお見舞い。蹴り上げる際に爪先で微調整したのも手伝って、黒い肉塊は奇麗な弧を描いて大型ごみ収集車の後部へ吸い込まれた。両手を天に掲げてガッツポーズ。ビルに切り取られた曇り空が白い。反動に任せて足下を見ると、もう一粒の黒豆納豆が落ちている。道で五百円玉を見つけたときのように、そおっと下ろした踵で、踏みつぶす。今度はプチンと、よい音がした。ワンテンポ遅れて、すでに一ブロック離れていた青いトラックの後部で、爆発のようなイナナキ。上機嫌な俺は、その場でボックスステップを踏み、ついでに「目玉」と「こだま」、「断末魔」を盛り込んだ韻も踏んだ。そしてこの日から俺は、一日一匹のカラスを蹴り殺すことを自分のノルマと課した。

 来年か、再来年か知らないが、タレント名鑑の「た」行、「二十四時間戦えますか」の時任三郎と「勉強しまっせ」の徳井優の間にお笑い芸人「トーキョーボーイ」の名が載る時が来たら、編集部にはこうFAXしよう。

『本名 猿渡誠二/1977年7月7日生/岡山県出身/日課 一日一匹のカラスを蹴り殺すこと』

 一日一匹、カラスを蹴り殺す。夏休みの予定表を立てるときのような、ちびまる子ちゃん的ノスタルジーに浸りながら、狭い正方形のテーブルに置かれたコーラを、ストローを使わずに飲み干す。とにかく、座ってコーラが飲みたかった。右足の甲は、余韻という言葉がちょうどしっくりくる程度に疼いており、その心地よさのタマに文字通りキズをつけるように、カラスの爪による引っ掻き傷の熱いような痛みが向こう脛に残っている。コンビニでアンパンマンがプリントされた液体ムヒを買って噴霧しておいたのが効いたのか、特に化膿などしている様子はない。

 本当は今すぐにでも熱いシャワーを浴びたいのだが、家に帰る前に何か具体的な準備をしなければ、決意が雲散霧消してしまうような気がする。今あらためて思い出すことすらできない、これまでの目標と同じように。

 割烹着風の若いウェイトレスが、注文した「豚カツを煮込んでみました定食」を運んできた。「みました」という響きにも、豚カツという食材にも惹かれたわけではなく、消去法、というわけでもない。ご注文お決まりですかと訊きに来るまでコーラのことしか考えていなかったので焦って適当に指さしたのがこれだっただけなのだが、しかし、戦闘の後に滋養のあるものを食すのは悪いことではない。勝負にカツ、という、明日以降の景気づけにもなるではないか。

「おひつ家」という店名の通り、この都内各地にチェーン展開している定食屋では、ご飯が最初「おひつ」に入った状態で運ばれてくる。旅館の朝食のようで初めのうちは新鮮だったが、何度も来ているうちに慣れてしまい、おかわりが自由だということだけが魅力になっていた。

 よそい終えた大盛りのご飯茶碗を左手に持つや否や口の中で唾液があからさまに分泌される。腹が減っているのだ。「敵は本能にあり!」などと本能に逆らっても仕方ないので、「これを早く掻っ込みたい」という気持ちに素直に従う。たぶん今、間抜け顔だろう。左手で茶碗を持ったまま右手で割り箸が入った木目調プラスティック容器のフタを開け、一膳ピックアップ。六割ほど被せられている袋状の紙を口で外し、右手だけで箸を、ぴし、と、割れない。固い。右手で袋状の紙を外し、口を使って箸を割る、という工程を踏むべきだったことに気づくが後の祭りだ。袋状の紙は忍者ハットリくんのように上下の唇に挟まれたまま、俺は茶碗を持った左手と未割の割り箸を持った右手を肩の高さでキープした格好でただただ眼を左右に泳がせるしかなくなってみました。

 

 もうかなり高い位置から注がれている太陽光線によって、残っていた眠気もリセットされた。結局ご飯を大盛りで三杯平らげ、十二分目まで膨れ上がった腹を抱えて、開店直後でまだ少し落ち着きのない「さくらやホビー館」の万引き防止用ゲートを通り抜ける。大きなポスターの中で、青いシスター服で口径の大きな拳銃を構えた赤髪の少女が笑顔を作っている。反射的に彼女と同じものにしようかと考えたが、既に買うべき銃は決まっている。トーキョーボーイがカラスを蹴り倒すのに役立つ道具が、道具と書いてチャカが要るとすれば、トカレフに勝る型式は思い当たらないではないか。

「あのぅお、つかぬことをお聞きしますがぉあ」

 俺はすべての交渉をクラウチングスタートで執り行う。「こんにちは。すべての交渉をクラウチングスタートで執り行う二十七歳のお笑い芸人です」、出会い系サイトの掲示板にはそう書き込むだろう。はい、と返事する店員はサービス業に似付かわしくない負の空気を纏っている。良く言えば「専門臭」。その、目つきの悪い、俺より少し年下と思しき青年におずおずと切り出す。

「ええと、ですね、例えばマルイの電動ガンなんかでですね」

 中学のときに流行っていたサバイバルゲームの知識を最大限に活用する。

トカレフー、なんてのは、ござんせんでしょうかねえ?」

 ネットで調べられればこんな無駄な緊張をせずに済んだのにと後悔するが、ネットカフェで巧妙に調べてから購入するのなら、トカレフである意味がないのだ。

「あいにく電動のはございませんが、ガスのものならございますよ」

 あっさり。青年の人柄も意外と爽やかだった。

 ハドソン社製、ANK―001 トカレフTT33 ABSブラックモデル、税込一万七千六百四十円。ベレッタやグロックなどの花形と比べればキワモノである我がトカレフ、まだ電動化の機会は訪れていなかったが、ガスガンがあっただけでも万万歳だ。

 一緒に替えのマガジンを一本と、フロンなどの環境汚染物質が使用されていないガスボンベを三本購入。弾は、一般にBB弾と呼ばれるプラスティック製のものの代わりに、しばらく風雨に晒せば土に還るという特殊樹脂製のを五千発購入した。どちらかというと、エコというよりも、エゴに配慮した結果だ。地球に、何というか、異物を残すのが嫌だったのだ。

 

 ジーンズの後ろポケットに、右向きにグリップをはみ出させてトカレフを差し込み、歌舞伎町を闊歩する。Tシャツの裾で隠れているため人目を気にする必要はないが、然るべき人が見れば、あるいは判るのかもしれない。平日昼間の歌舞伎町、人間の数は充分に多いが、夜の混雑、特に客引きの数を思えば、まだ許せる人口密度だと思う。

 所変わって海の向こうアメリカでは、最近、ある方法の「自殺」が、語弊があるかもしれませんが、一種のブームのようなことになっているそうです、と一昨日、スポーツ新聞を読み上げる早朝番組のキャスターが言っていた。その自殺方法とは、作り自体は古今東西の映画で使い古されている手法(チャーリー・シーンのものをよく覚えている)だが、実行したとなると感動的なものだった。

 ストリートで水色の制服を着たポリ公と対峙し、やにわに懐に手を突っ込む。アホなポリ公はそのマヌケ面をしかめてホルスターからピストルを外し構える。

「フリーズ!」

 お決まりの台詞を聞くや否や、若者は目にも留まらぬ早業で、その四次元に通じた懐から殺傷力のない代わりに夢に満ちた様々な「道具」を取り出し、それと同時か少しフライング気味のタイミングで九ミリ弾を脳天にブチ込まれ、夢を叶える。うろ覚えだが、去年一年間で二百人やそこらの青年が、そうやってドアの向こうへ旅立っていったのだとか。自由の国、万歳だ。

 コマ劇場裏の交番。Tシャツの裾が気になり、心持ち姿勢を正して歩く。某大手レコードショップを模した風俗店情報案内スペース、その名も「HMB」の店頭に置かれた小さなラジカセのようなものからエミネム押韻が聞こえ、すぐにドップラー効果の稜線に沈んで行った。エミネムに関して俺は何の知識も持っていない。ヒットした自伝的映画を見たこともなければCDの一枚も持っていない。彼について俺が持っている知識といえば、韻を踏むということと、その色くらいだ。それもまた、黒だか白だか、薄ぼんやりと。韻というのは踏まないよりも踏むほうが大変だと思うので彼らのことを尊敬してはいるのだが、知識としてはその程度だ。そのようなことでなぜ今の押韻エミネムのものだと判ったかというと、彼本人が、「HMB」を通り過ぎた五秒そこそこの間に、正味三度は「エミネム」と、日本人の日本語耳にもはっきりと聞き取れる発音で押韻していたからだ。もしかするとエミネムのライバルに当たるようなヒップホッパーが「エミネムよ、ようエミネムよ、そろそろオネムの時間だぜ」というような意味の韻を踏んでいたのかもしれないが、たぶん違うと思う。なぜなら「HMB」は流す曲までウソにする必要はないからだ。

 出所不明の湯気が立ちこめるタチバナビル付近に差しかかって、さらに数段、背筋を伸ばす。以前この辺りで身長三メートルのグラサンスキンヘッド黒スーツを四人引き連れた「本物中の本物」を目撃したことを思い出したからだ。やつらの懐には本物のトカレフとジャンケンしても負けないような、グーかチョキかパーが悶々とその出番を待ち構えているに違いない。

 引き返そう。決心するが早いか踵を返した、瞬間、背中の後ろで充分に熱したフライパンの上にバターを敷き、焦げないように気をつけながら丁寧に煎ったポップコーンが弾けるような、湿った炸裂音が響いたのだった、と頭の中で独りごち、右折してタチバナビルを左手に見ながら行き過ぎる。ラーメン屋の前に置かれた水色のポリバケツのフタにカラスが止まって、楽器を鳴らすようにかしゃかしゃと足踏みしている。音楽とは、音を楽しむと書くのだなあ。

 十五メートルほど向こうから、大量の、おおよそ三百個くらいの風鈴をぶら下げた物干し台のようなものを担いで、紺色の作務衣を来た白髪の老人が近づいてくる。普段なら納涼を促進するはずである風鈴の音も、あれだけ集合すればちょっとした嵐だ。「金の斧、銀の斧」のパロディコントで、キレる寸前の女神様が出水するシーンの効果音にしたらいいのではないかというような、荘重なクレッシェンドとともに、一歩一歩、確実に地面を踏みしめ近づいてくるおじさん。東北辺りから出稼ぎに来たのだろうか。あるいは新手の当たり屋かもしれない。

 撃ちたい。三百の風鈴を、乾いた吐瀉物のこびりついたアスファルトに撒き散らしたい。

 右手を腰に回してトカレフのグリップを握りしめる。背中で重そうな車の排気音が聞こえ、ベンツに違いないと思った。銃を抜くのはまずいだろうか。しかし、沸き起こった衝動を抑えきれない。

 意を決してトカレフのグリップを握り直した、その刹那。急発進したベンツが俺の左肘をかすめて行き、そして時速五十は出ていると思われる速度のまま風鈴おじさんに突っ込んだ。飛び散る風鈴。風鈴。風鈴。風鈴。中略。風鈴。風鈴。風鈴。おじさん。風鈴。風鈴。風鈴。風鈴。以下省略。半径三メートル程の範囲に散乱した破片は更にベンツの見事なハンドリングでにじり踏まれる。そうして今や色とりどりの粉末となった風鈴と風鈴おじさんは、このあと強いビル風さえ吹けばさらりと吹き飛び、この淀んだ街並みに一筋の虹を架けることだろう。

 

2.ある日

 

 目を覚まして携帯を掴み画面を見ると、予想外の数字が示されていた。体を起こし少し冷静になって数字が示す意味を考えると、どうやら午後の四時を過ぎている。十三時間前の午前三時、眠りにつく直前に携帯電話のアラームをセットしようかとも思ったのだが、ここ数日は午前の八時にもなれば寝苦しさで目を覚まし、エアコンのスイッチを入れなければ二度寝できないという、アラーム不要の猛暑が続いていたので、今日も必要ないと思っていたのだ。しかし今スイッチを入れたテレビで気象予報士が説明するところによれば、今日は遥か南にある台風の影響で雲が厚く、連日の真夏日がようやくストップした日らしかった。ゴミ収集の時間には起きてカラスを一羽蹴り殺そうと思っていたのに、もうすぐカラスが鳴く時間だ。

 

 田舎のカラスは夕方になるとかあと鳴き、七つの子が待つ山に帰ってゆくのだろうが、東京のカラスはたぶん、そのようなことをしない。どこかに潜んで明日の会議などしているに違いない。ただし、夜になると戦闘においてこちらが不利になることは否めない。彼らは黒いし、何より俺は鳥目なのだ。

 寝巻きとしていたパイル地の灰色ハーフパンツに黒Tシャツという格好で、髭も剃らず携帯と財布とトカレフと自転車の鍵を持って立ち上がる。昨日購入した、脛保護用のレガースが入った「サッカーショップKAMO」のナイロン袋が目に留まるが、着用する時間がないのでそのままアディダスのスニーカーをつっかけて鍵もかけず家を飛び出す。

 

 赤々とした夕陽に照りつけられ、Tシャツの下が汗ばむ。ファミレスのタンドリーチキンにでもなったようだ。

 十分ほど自転車を漕いでたどり着いたのは、格好よく言えば、やつらのアジトだ。渋谷区郊外の、閑静な住宅街。斎場があるため、条例か何かで静閑さが保たれているのだ。斎場の裏手にある広場に自転車を止め、息を整える。少し前、まだコンビを組んでいたころにここを練習場に使っていた。その際に何度か、当時の相方がカラスに襲われていたのを思い出したのだ。「七つの子」はたぶんここにいる。

 右前ポケットにトカレフを仕舞い、禁止の看板を無視して犬の散歩をしている数組の中年女性をやりすごす。紫色のサングラスをかけたおばさんに連れられて脇を通ってゆくゴールデン・レトリバーの側頭部をローキックで蹴りたい衝動に駆られたが、いかにも駄犬ですというレトリバーの阿呆面が可愛く思えたのでやめた。第一俺に犬を蹴る趣味はない。カラスを蹴るのも、別に趣味というわけではないが。

 日はまだある。携帯を見ると、五時十五分だ。即席で今日の作戦を立てる。まずは、木登りだ。子供を見つけ、できれば誘拐。威嚇、攻撃してきたカラスをトカレフで迎撃。足下に子供を置いて、近づいてきたカラスにローキックだ。ローキックは軌道の小さい、押し出すように蹴る空手式のものがいいだろう、と中学時代にカラテの通信教育キットを買ってしまった、その元を取ってやろうという商人根性で、判断した。

 クヌギだろうか。サクラだったかもしれない。キンモクセイではなかったはずだ。西日に照らされた木の内側は、永久エネルギーに満ちあふれた二十二世紀の居住空間のようだ。てっぺん付近に止まって威嚇してくるカラスをトカレフで打つ。巣があるのは間違いないらしい。ここで相方と練習したのは春先だったからもう巣立ちしてしまっているかもしれないと今さら思う。

 これ以上登ると折れてしまうと判断した、さらに一メートル上、ほとんどてっぺんに巣があった。草や針金らしきもの、ピンク色のハンガーも使って器用に作っている。巣につながる枝を手前に思いきり引き寄せるとこちら向きに傾いて、中にもうかなり大きな雛がいた。艶のあるもこもこっとした毛に覆われ、口を真っ赤に開いてきゃあきゃあ鳴く姿に、思わず母性本能を刺激される。掴んだ枝を揺らすと巣はほぼ九十度に傾き、鳩よりも一周りほど小さい雛が落ちる。咄嗟に手を伸ばすが、そのまま地面へ一直線、落下した。死んだだろうか。

 木から降りて落下地点を見ると、雛はまだ生きていた。怪我しているかは一見したところでは分からない。トカレフを握ったままその場にあぐらをかいて座る。すぐに水色とオレンジのグラデーションに染まる空の中間辺りで金切り声をあげる、黒いシルエットが確認できた。

 

 広場の裏手に立てられた都営住宅だかどこかの社宅だかのモルタル壁に、スパッスパッという小股の切れ上がったトカレフの発射音と、けぇけぇというカラスのわめき声が反響する。

 

 再び登った木の内側は、さっきよりも涼しくなったようだ。巣まで二メートル程のところで止まり、バスケのシュートの要領で雛を投げる。リリースの瞬間、中指の先に重みを残して飛んで行き、巣の側面に当たり、再び落下。

 ばさ、という音とともに、雛が倍の大きさになった。二度、三度羽ばたき、着地。よく知らないが、もう巣立ちできる大きさだったのかもしれない。何だか置いて行かれたような気になり、俺も木から飛び降りてみる。昔はこうしてよく高いところから飛び降りていた、と空中で懐かしい気分になったが、着地で老いを感じた。老いとは自分と重力との関係だと、たまに遊びでバスケなどすると思い知らされる。

 足下で今まさに飛び立とうとする若い生命。踏みつぶしたいとも思ったがやめておき、左手で首根っこを掴み持ち上げる。けーけーもがく。手持ちぶさたの右手をハーフパンツのポケットに手を入れると、中指が何かに触れた。B5サイズを四つ折りにした黄色い紙だった。半ば仲間内への冗談のつもりで半年後に使用料の安い三軒茶屋の会場を押さえてある、ピンになって初の単独ライブを告知する簡単なチラシだ。おみくじのように細く折畳み、暴れる雛を押さえつけ、足に結びつけておいた。上空を数羽のカラスが旋回している。いかにも不吉な光景だ。明日の朝までこいつは生きていられるだろうか。お腹が空いたらそこの、母親だか父親だかの肉を食って生き残ればいいからね。上のおじさんたちの言うことをよく聞くのよ。じゃあ、またね。

 陽はいよいよ沈もうとしていて、東側の雲はもう黒に近い紫色になっている。自転車のスタンドを起こし、帰路に着く。赤に近いオレンジ色の西日が元々オレンジ色の自転車を照らし、右側に長い影が出来ている。顔を上げて前を向くとすぐ先に蚊柱。慌てて呼吸を止める。

 

3.ある日

 

 早朝に軽く一羽こなして、タモリのいない土曜昼の新宿を颯爽と歩く。修学旅行生だろうか、田舎臭い制服を着た、中学生だと思われる女子生徒がドンキホーテやチケットの大黒屋・ブランド館を興味深そうに眺めている。ここ数日の連戦で土踏まずの辺りが軽く張っているような気がするのでさっきから手ごろな値段のフットマッサージを探してみているのだが、目に留まる看板は、例えば縦八十センチ、横六十センチほどで、色はピンクと白と水色に塗り分けられており、さらに周囲を黄色い電球で囲われているというような具合で、性感マッサージと区別がつかないものばかりだ。必ずと言っていいほど添えられている「中国式」「台湾式」「韓国式」等というのも、土地柄、性的なサービスの内容を想像させられてしまう。中国式はさぞすごいのだろう、では韓国式は、などと勝手な妄想を続けているうち、次第に風俗店に行ってもいいのではないかと思えてきた。財布の中に今いくらあるか思い浮かべる。ここで言う「財布の中」とは、黄色や赤や緑の看板を掲げる店舗で引き出し可能な金額も含めた雄大なものだ。

 黄色を選択して二万円を引き出し、お申し込みコーナーと書かれたスペースに添えつけられたカゴから飴を一掴み、ポケットティッシュも三つ、ついでにボールペンも失敬してトートバッグへ入れ、外に出る。目指すはもちろん風俗店情報スペース「HMB」だ。

 三千円引きのブロンド専門ヘルスと総額七千円ぽっきりのギャル系イメクラ、オプション五百円引きの個室ビデオ店、計三枚のクーポンを持ってコマ劇横の立ち食い蕎麦屋に入り、ちくわ天うどんを二分で食い、店を出てコマ劇の前が異様な熱気に包まれていることに改めて気づいた。

 四、五百人はいるのではないかと目測される、中年女性の行列。見上げると精細なタッチで描かれた一人の青年の笑顔が輝いていた。今日は氷川きよしのコンサート、初日らしい。

 このオバハンたちが今十円ずつ俺にくれたとしても、五千円になる。百円なら五万、千円なら五十万だ。以下省略。くれないかな、と思い、カニ歩きで列に近寄ると、独特の匂いにはじき返された。香水だけでこの奇跡の調合はできないはずだ。調合の粋はホルモンバランスの乱れに違いない。

 それでも、ちょっとしたサービスくらいは、するのだが、と風俗へ足が向きかけていたことも相まった妥協をしかけて、氷川きよしはその「サービス」の代価としてこのオバハンらに一万円ずつもらい、座長公演を果たしているのだという、ごく当たり前の場所に思考が立ち戻ってきた。馬鹿らしくなってきたので、この五百人が、全員十九歳だったらと思いを巡らせる。

 もしもこいつらが、五百人の十九歳だったら。ぼくは五百個の性器でできた赤絨毯の粘り強い感触を愉しみながら転がり、瑞々しい肌色の肌の間をぱたぱたと泳ぐ。いつまでも泳ぐ。爽やかな酸味を持つ汗が、清流の最上のごとく静かに沸き起こり、滴り落ちる。狂ったイルカのように、ジェイジェイ、キャンキャン、ジェイジェイ、キャンキャン、アンアン、ノンノ、ウィズ、モア、ボーチェと、ダイブを繰り返すぼく。

 ではもし、十八歳だったら?

 もし十七歳だったら?

 十四歳だったら?

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 八歳まで数えたところで勃起角度が緩やかに下降し始めたので詩うのを中断し、再び現実に目を向ける。所々から聞こえる会話の断片から判断するに、これは当日チケットを買い求める行列のようだ。最後尾付近に立っていたのに、あれよあれよという間に俺の後ろにはもう、二百人ほど並んでいる。今列を抜けれてやれば、交渉次第では一人十円ずつくらい貰えるのではないかとも考えたが、偶然ながらも当日券をゲットできそうな位置に並ぶことができたのだからラッキーだと思い、そのまま並ぶことにした。

 カラスが鳴き始める時間になってようやく入場できた。当日券、八千九百二十五円。座席は「ト- 38」、三階席最後部の中央やや左側だ。キャパは、見たところ、二千弱だろうか。二百以上のキャパを持つ会場で芸を披露したことのない俺にとっては、普通に別世界の舞台だ。超満員の客席を一望する。やはり客の大部分がオバハンだ。平均年齢は低く見積もって四十六、七歳といったところだろうか。ホルモン香水の匂いは、鼻が馬鹿になったのか、気にならなくなっていた。場内に薄くかかっていた三味線のBGMが、次第に速く、大きくなる。この位置からはただの赤い壁に見える緞帳がゆっくりと上がり、テレビの上に置いたペプシマンか何かのボトルキャップフィギュアサイズの氷川きよしが現れた。

 一斉に上がる黄色い歓声。ずん、ずん、とベースだかドラムだかの音がそれを煽る。この曲なら俺も知っている。『きよしのズンドコ節』だ。黄色いとは言ってもこの乾燥生ゴミどもから発せられるものだ、賞味期限はとうに過ぎており、からからに乾いている。乾ききった黄色い歓声は次第に実体化し始め、春先、中国から偏西風に乗って西日本に飛来する「黄砂」のようになった。それは次第に濃さを増し、気が付けばきよしの立つステージを覆い、一階席を埋め、二階席を埋め、ここ三階席の高さまで積もり、ついに場内は砂丘と化した。

 黄色い荒野を見渡す俺の目の前に、突如立ち現れる枯れ果てた女性器。二千個の。その二センチ脇には、もう吹き出る力のなくなった吹き出物。干涸びた二千個のそれ、一つ一つに、俺はトカレフで弾丸を撃ち込む。土に還る特殊樹脂製の弾丸の中に、ある花の種を埋め込んだものだ。山火事のときにだけ種を飛ばす、赤道付近の植物の種。きよしによるドドンパの掛け声とともに二千個のそれから一斉に蔓が伸び蠢き、コマ劇場内は砂漠から一転、熱帯雨林と化す。花とそれとホルモン香水が一緒くたになった猛烈な匂いが館内に充満。スプリンクラー作動。水と粘液を滴らせながらなおも二千個のそれと、それから伸びた蔓は蠢く。長く垂れた乳房が乱舞し、ぶつかり合う音は次第に揃い、ドドンパと共鳴。パ、で瞬く蜜壺から噴出する水、汗、粘液、潮々。生命の神秘。スコールに躍るジャングル。色とりどりの光線を浴びた股旅姿のきよしが、ステージから客席に一歩、足を踏み出す。映画『クロコダイル・ダンディ』のラストシーンさながら、頭や顔面、蔓や花弁、尻や女性器でできた花道を踏みしめて、きよし、正面扉から堂々退場。

 赤黒い足ふきマットで丁寧に靴底の粘液をふき取り、コマ劇場を出る。外はもうかなり暗い。この時間、コマ劇前野広場は居酒屋の客引きが支配する。更に夜が深まればこれに加えて「一名様、キャバクラ!」「ゲイバーいかが?」「カラオケですか?」「はいルーマニア」「お兄さんおっぱい!」など、それぞれに託された、それだけでは意味の通らない言葉を夜明けまで繰り返すようインプットされた人間たちで埋まってくる。本を読むことを禁止された未来の人々が、『ガリヴァー旅行記』なら『ガリヴァー旅行記』を一言一句丸暗記し、その人が死ぬ前には次の人間に伝授するという映画を昔テレビで見た。客引き達は映画と同じように、誰か、彼らが尊敬している人物のサクセスストーリーを絶やさぬため、その断片を夜通し暗唱しているのかもしれない。

 頭上に気配を感じ反射的に身構える。寿司屋の壁から飛び出しているマスターカードの看板の上にカラスがいた。この時間に、めずらしい。俺のスニーカーについた血の匂いでも嗅ぎ取ったのか、威嚇するように一度羽ばたき、飛んでいった。この辺のカラスはどこを根城にしているのだろうと考えて、すぐにある場所が浮かんだ。散歩がてら、行ってみてもいいかもしれない。その前にまず、腹ごしらえだ。

 ウミガメの産卵を扱ったテレビ番組で、孵化した子ガメが、重ねたチップスターのような体を一生懸命引きずって波間へ急ぐ。しかしここぞとばかりにカモメやその他の天敵が狙っており、無事たどり着くのは生まれた子ガメの数パーセントです、というようなナレーションが入る場面で、潮が満ち引きする早送りの映像が流れたり流れなかったりする、その潮の満ち引きに似ている新宿駅の人の流れ。午前零時を過ぎ、終電も近づいてきた今の時間、人々が、まさに潮が引くように、中央東口へ続く階段へ流れ落ちてゆく。

 今日は週末なので特に目に留まるのが、セックスの種だ。酒に酔ったサラリーマンやOLの体の一部が雄しべ&めしべと化し絡み合い、受精予約行動をとっている。この予約行動が、しかし彼らの性的関係の中で目的化していることは一目瞭然だ。セックスしたいのと同じくらい、セックスしたくないのだ。男も女も。タンポポの綿毛のように不健康なセックスの種舞う東口を離れるべく、流れに逆行する。家へは無理すれば歩いてでも帰れる距離だし、朝まで新宿で潰して、早朝にカラス殺して帰ってもいい。

 ダイエットペプシツイストを飲みながら、終電が過ぎて人通りもまばらになり、勢いを失いつつある客引きの合間を縫って歌舞伎町を進む。レモン風味の爽快なげっぷと一緒に最後の一口を飲み込み、空き缶入れを探すが見つからない。インディーズ系とは言えコンビニの前に空き缶入れがないというのはどういうことだ。道端に捨ててもいいということか? いや、そんなことはない。社会人ならそんなことをしてはいけない。今朝立ち止まったマッサージ店の看板があるビルの脇に、赤い自販機を見つけた。ライバル社の空き缶で申し訳ないが、この場合仕方がない。はいはい、ごめんなさいよ、と自販機脇に備え付けの赤い空き缶入れに、もしくは、壁と一体化した、空き缶入れに、捨て、られ、ない。空き缶入れが、自販機の脇のどこを探しても、見つからない。これはどういうことだ。道端に捨ててもいいということか?

 答えはイエスだ。

 堂々と、軽くポケットに手など入れながら、んーと腹を鳴らしている赤い自販機の脇に、白と黄色を基調としたダイエットペプシツイストのボトル缶を置こうと、すると、

「おい兄ちゃんそこゴミ捨て場じゃねえぞ」

 客引きなのか、ビルの前に立っていた、まあ堅気ではない中年黒スーツ。目を見ることなく、え、と発声してみた。

「え、じゃなくてよ、ここゴミ捨て場じゃねえんだよ」

 こいつの懐には、俺のトカレフとジャンケンして勝てる道具が、道具と書いてチャカが潜んでいるだろうか。いくら歌舞伎町でも、全員が全員、そんなものを携帯しているわけではないだろう。顔を上げて黒スーツを見る。浅黒く脂ぎった、チャバネゴキブリのような顔面の上で、ほんの一瞬、目が泳ぐ。俺の目はそれ以上に泳いでいるのかもしれないが、たぶん、あいこ以上だ。缶を持った右手をチャバネに向けてまっすぐ伸ばし、ボトルキャップ部分を右手人さし指と親指でつまんで持つ。おチョウシ一本追加ねの型だ。チャバネの口が何か言うべく開きかけた瞬間、指を放す。落下するダイエットペプシツイストの空き缶の腹を狙い、ゴールキーパーパントキックの要領で右足を振り抜く。縦の前方回転をしながら上昇した缶底の縁がチャバネの眉間に当たり微かに鳴り響く高音は、既にコマ劇の方へ走り出している俺の耳には届かない。歌舞伎町を舞台にした「リアル缶蹴り」のスタートだ。逃げるのは元々得意だが、これは鬼がはっきりしているので逃げ甲斐がある。

***

 歌舞伎町とのギャップありきなのだろう。しかしやはり暗さと静けさは、闇と静寂をシェイクしたカクテルとでも例えたい気分にさせられ、それが、施錠されているその背の高い門の奥から流れ出てきているようだとでも表現して、少しも大げさとは感じない。切れていた息を整える。

 さっきの文脈で行けばカクテルを半分ほど飲み干したということになるのだろうか、闇に慣れた目で見上げると、門の奥ではカラスが好んで寝床に選びそうな背の高い木がぬるい風に揺れている。小さな固い葉を持つ植え込みで囲まれた門前の広場は、立ち上がったキリンくらいの高さの頼りない街灯に照らされており、少数の寝静まったダンボール箱以外に人気はない。Tシャツの胸と背中は汗で濡れ、ジーンズの左後ろポケットから引き抜いたトカレフの銃身も薄く濡れている。この時間、車もほとんど通らない道路を挟んだ五、六階建てのビルの一室に明かりがついている。斜向かいのブロックの奥にライブハウスでもあるのだろうか、時折、ドアが開いたのだと思われる短い時間、テンポの遅い音楽が漏れ聞こえてくる。

 左前ポケットに何か入れてあるのに気づいて取り出し、銀色の包装を剥がし、掌に乗せる。スヌーピーの絵がプリントされたお手玉のようなもので、添付された紙切れには「FOOTJUG」と表記されている。要するに足でやるお手玉、お足玉だ。小生、脚には少々、覚えがござる。

 目の高さほどまで放り上げ、右の太ももで受け止める。ざ、という音を立て、肩の高さまで上がり落下するのを右足の甲で蹴り上げる。やや前方に逸れたので右膝を踏ん張り、左足の甲で蹴り上げようとしたが爪先に当たってしまい、大きく前方へ飛んでいった。小走りで拾いに行く。

 ざ、ざ、ざ、ざ、ただでさえ連日の格闘で疲労が溜まっている右足に負担をかけていることは承知しながらも、つい楽しくて没頭してしまう。

 落とすことなく二十回ほどは蹴り続けられるようになったころ、四本先の街灯に照らされた、女性らしきシルエットに気づいた。黒っぽい、体に張り付いた、トレーニングウェアらしきものを身に付け、ストレッチらしきことをしている。深夜のジョギングにしては、気合いの入ったストレッチングだ。まるでこれから短距離走でもするかのような。と、思うが早いか、五指をぴたりと付け肘を直角に曲げ、太ももを高い位置にキープした、まさに短距離走のフォームで、全速力だと思われる形相と速度で、こちらへ向かってきた。片方の手に、何か握られている。

 FOOTJUGに邪魔だったので、トカレフは植え込みの辺りに置いてある。距離はみるみる内に縮まってくる。髪の長い、やはり女性のようだ。どう考えても、こちらに、突進、してきている様子だ。

 やられる。

 覚悟を決めたが、彼女は俺の、十センチ離れない脇を、エキゾチックな風を残して通り過ぎた。すれ違う際に確認されたのだが、手に持っていたのは、歯磨き粉だ。恐らくは歯の再石灰化効果を促進する成分が配合された、高級歯磨き粉。今の走りに満足が行かなかったのか、十メートルほど離れた場所で止まり、振り返った女は、首を傾げたり足首を回したりして、二本目の準備を始めているようだ。危険はないようだが、どう考えても頭はオカシい。関わらない方がいいだろう。後ずさりし、女が徒歩でスタート地点に戻るのをやり過ごす。女が、すれ違いざま、ちらりと、初めてこちらを見た。半分だけ焦点が合っていた。十代にも見えるし、四十代にも見える。あるいは日本人ではないのかもしれない。

 背中を向けたのを確認し、視線を外さずトカレフを拾い、右前ポケットに挿す。銃身のポジションが気になり、一瞬だけ視線を外した間に、女はもう、街灯四本分、距離にして百メートルほど先のスタート地点に戻っていた。

「アナタスポーツイッショシタヨ!」

 背後から声。振り返ると、さっきの女だ。近くで見ても年齢が分からない。日本人でないことだけは分かった。何となくだが、中国人のような気がする。

 二本目のスタートが切られたようで、さっきと同じフォームで疾走してくる女。通り過ぎる際に街灯に照らされて明らかになった、全力疾走で歪む顔は、今、俺の肩に手をかけている女とまったく同じだ。双子だろうか。やはり十メートル先で止まり、首を傾げ、足首を回す女。ゆっくりと徒歩でスタート地点へ戻ってゆく。そしてすれ違いざま、こちらを見る。

「チュコクシキオモイシラセルネ!」

 いつの間にか両肩に置かれていた手に力が入れられ、反射的に振り返ると、女が、二人で、にたりと笑った。視線を戻すと、三人目がスタート地点に立っていた。

 十二人目がスタートを切ると同時に、俺はアスファルトに引き倒され、全員から一斉に犯された。途中、一人が戯れでトカレフを発射し、内一発が腹に命中したとき、言い得ぬ興奮を覚えてしまった。

 夜が明ける頃になってようやく十二人の中国女は思い思いの言葉を吐きながら走り帰ってゆく。最後まで残っていた女が、にたりと笑って中国語らしい言葉で何か言い、黒い小瓶を差し出した。一昔前話題になった中国陸上エリートチーム「馬軍団(まーぐんだん)」のスペシャルドリンク、らしきものだ。どうしても玉手箱を思わせるその小瓶を開栓し、匂いも嗅がず飲み干す。全身に精気が漲ってくる。どう低く見積もっても過剰反応している全身の毛穴から噴出する、しかしどこか優しい、牧草のような匂いに包まれ、気づくとどう客観的に見ても俺は馬になっていた。馬のことは詳しくないのでよく分からないが栗毛の3歳牝馬とかその辺りの馬だ。さあ各馬一斉にダートイン。桜花賞取って人生謳歌ショーとばかりに、馬になった俺は金色と朱の縞々朝日を背にして新宿通りをジャスト一馬力で駆け抜ける。