ニートジェネレーション
ビデオで『ビートニク』を見る。いわゆる「ビート・ジェネレーション」現象を、ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンスバーグ、ジャック・ケルアックを中心に、貴重な映像をふんだんに使用したドキュメント。
イマイチマユツバだったビートジェネレーションだが、ヒッピーからヒップホップにまでつながるカルチュアーだと知って、納得。作家が群れてもロクなことにならないというのは、乙一と滝本竜彦の気持ち悪い対談で思い知らされたが、古今東西、軽い重い関係なくそれは真理だと思った。
チャールズ・ブコウスキー『詩人と女たち』に、視の朗読会に行った先でバロウズと同じ宿泊先になって、会おうとしなかったがドアの隙間からちらりと見るという場面があって印象的だったのだが、その態度は100%誠実で、尊敬できる。ナンバーワンよりオンリーワン、という言葉の胡散臭さは、過度の流通ゆえではなく、それが言葉だからだ。
ビートニクの流れとして、ジョン・ケージの映像が。僕は音楽とは無縁に、どちらかというと避けて過ごしてきて、ジョン・ケージの存在を知ったときは目から鱗だったのだが、初めて映像を見て、この流れだったのかと納得できた上で、ダントツだと思った。ビートジェネレーションの、ナンバーワンよりオンリーワンである。
ナンバーワンということは、ナンバー2がある、それはコピー商品なのだ。一方、オンリーワンというのは、一回性を示している。一回性を流通させるという試みの中で生まれるジレンマは、他人事ではない。
ビートニクを現代日本のお笑いにまで飛躍させると、一気に疲労感に嘖まれるのだが、それは落ちてくる空であり、せり上がる地面である。
そういえばナンバーワンよりオンリーワンだと、SMAPが歌っていたのを思い出す。
(あ、逃げたぞ!)