アイデンティティカンニング

スカパーで『も〜っと!おジャ魔女どれみ』を毎日見ている。主に録画して、一日2話ずつ、もう30話くらい見ている。飛鳥ももこちゃんが大好きなのだが、今日見たのはももちゃんが剣道に挑戦する話で、どれみの声がもろに風邪気味だったのが気になって、これを放送当時に突っ込んでいる文章がネットにあったら素敵やんと思って半分本気で探しているうち、以前アマゾンのオススメDVDページで、小学校の頃はまってたなーと思いながらクリックすると、放送してたのは二十歳過ぎだったと分かって「ヘコ〜。」となった、『ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー』のファンページ(?)にたどり着いた。

http://www.asahi-net.or.jp/~ug5k-tki/ffp/ffpindex.html

読んでいて、そんな気は毛頭なかったのに、自分探しを体験してしまった。東映アニメが脳みそのどのへんに居座っているのかがよく分かった。庵野秀明より広井王子より、まず佐藤順一チルドレンだったのだということも分かった。どう考えても昨今のアニメへの傾倒(ぶり返し)は『明日のナージャ』をきっかけとしているのだが、何故ツッコミを入れながらもナージャを愛してやまなかったのか、も分かった。この流れの突端にいる、細田守という人のことも知ることができた。

いやぁ、自分って見つかるんだねー。

まったく関係ないけど、同じ文脈で言うならド他人であるから言ってることが気になる小林エリカと山崎何とかさんの対談
http://www.shobunsha.co.jp/html/tyosya/tyosya-2k2-02-2.html

を読んで、童貞(D.T.)男子の「女の子度」が、間接的な関わり(メール恋愛とか)においては、ここで言われているような普通の男の子の「乙女度」と取り違えられるケースが多々ある(女子の経験不足が原因で)のではないか、と思う。

夜、テレビで笑いの金メダルが始まったので見ていると、カンニングが開口一番「今裏でハリーポッターやってます!」と言っていたのでチャンネルを換える。『ハリー・ポッターと賢者の石』。映画館で見て以来なので(たぶん)、数年ぶり。全体的に吹き替えの声が幼いように思えたのは、最新作の来日記者会見を見ているからだろうか。

そんなハリポタ最新作、『ハリー・ポッターとアスパラガスのニンジン』(トンガリ「それを言うならアズカバンの囚人でしょん〜?」)は明日公開。落ち着いたころに見に行こう。女の子と見に行こう。ラッシャイ。