パルプフィクション

ビートたけしに代表される、「ホンネ」を駆使した80年代前半の笑いは結局「甘えの構造」に基づいている》。学生時代に読んだ、お笑いの私的年表みたいな感じの新書本にこうあった。土居健郎の著書を「バカの壁」に対するものと同じ不信感から手に取ってもページを繰るまでに至らなかったことが大きいのだろうが、僕にはこのことが理解できなかった。時代の現象を時代の言葉で縛り上げるという行為に、胡散臭さを感じたのも確かだ。

後にすっかり庶民のものとなったホンネの笑いの、まさに申し子として育った僕らなのだが、

僕「ら」、としたのがそれこそ「甘え」だったのかもしれない、

その辺の齟齬でギロンギロンにトガってしまっていた友人・アニ君ことアキラ軍曹に電話、30分謝り倒す。甘えの対局にあるのは「愛」でなく「誠意」であると体感した30分、電話を切ったとき、スーパーの階段を上り下りするのにも手すりにつかまらなければならないほど、膝にキていた。サラリーマンになったら死ぬだろう。

現実には存在しない人間、「アニ君」と向き合うため、甘えに基づいて形成された、やはり現実には存在しなかった主人公の、以下は遺言だ。

一、「価値観」とは結局、多数決である。僕「ら」の味方ではない。

一、矛盾とは矛と盾、つまり戦争の道具である。持っている方が、強い。

バカの壁なんて、たけし城でいうと最初の壁みたいなもんだ。『コインロッカー・ベイビーズ』や『悪童日記』の主人公のように、華麗に壁を越えおおせたと思っていたが、本当の試練は壁を越えた後だった。

京橋でまた30分、別の人間に謝り倒す。昨年スッポカしたバイトの給料をもらうため。

ガクガクの膝でチャリをこぎ、中野でマキタ学級会議。

シンジ君の言う「ただいま」である。

半袖のTシャツで電話。切った後、画面を袖で拭こうとしている友達を見たらタイミングよくこう声を掛けよう、

「鳴り響け、僕のメロス!」

最後はアニメあるあるネタでシメてみました。流行るよこれ。