ビーアンビシャス

夕方、明後日が祝日だと知ったので「水曜どうでしょう」とメールが打ちたくて友人を誘う。一時間ほど空いたので西武新宿駅の7階にある本屋で時間を潰す。「水曜どうでしょう」と書かれたほうではなく、ダウンタウン特集だった先月のクイックジャパンを立ち読み。このだらだらと長い特集の中で情報として価値があるのは、松っちゃんの行間だけ。載っている言葉は全部チンカスだ。

友人到着。チャールズ・ブコウスキーに感嘆し、綿矢りさに感心し、乙一平野啓一郎を穿ちながら本屋を一周。

「あ、ほらこれ」と友人が、高校時代に読んだ『ものぐさ精神分析』のカバーに「平成四年に癌で死去」とあったのでそう認識していた岸田秀の新刊を指さす。二人で共通の知人・アニ君(http://d.hatena.ne.jp/mshuu/20040126参照)をものぐさ精神分析をしているときなどに話題に上っていたが、僕は死んだと、友人は生きているとお互い譲らなかった。今こうして新刊本を、さらにはその日付入りの後書きと近影を見せられると、いやはや、と言わざるを得なかった。

「いやはや、岸田秀クラスになると、精神と肉体は別個に存在するんだね〜」。

松屋で「豚飯」を試しに。豚の味がして美味しい。肉としての偏差値が若干上なんだと思う。

ダーツをしながら、ふと友人の「N」(http://d.hatena.ne.jp/mshuu/20031211参照)に連絡をとろうと思いつき、電話。ぷるるるる、「いやあ、N(自分)ってのは、何でこう、弱くなっちまったのかなぁ」と、僕の中で伝説になりかけていたメッセージが流れ、続けざまに二回聞く。側にいた友人にも聞かせてやろうと思い、Nの番号を教えると、

「あ。え? もしもし。ちょっと待ってください、替わります」

なんとN、あっさりと出たのだった。この時点で、終電で帰って見ようと思っていた『ピースメーカー鐵』を諦めなければならなかった。

10分弱で新宿に現われたNと久しぶりに話す。何しろ半年ぶり(図らずも)なので、M−1から、彼の先輩である広末涼子綿矢りさのことなど、逐一。相変わらずの「ジャンクボーイ」っぷりに、勇気付けられる。

「いやぁ、俺らの勝ちだったね、結果的に」というような話を一方的に。映画『キッズ・リターン』のラストを凌駕するオポチュニズム。これも弟子なりの、愛なのだ。Nは過去を泳ぎすぎる。Nが過去を泳ぐのは、彼にとってそこが一番、泳ぎづらい場所だからだ。敢えてそこを泳ぎ続けることで、客観的には過去なんかより余程泳ぎづらい彼の現在で溺れないようにしているように見えたから。

生身で新幹線「のぞみ」にぶつかった男性の死を絶望のメタファーだとすれば、Nの生は「希望のパロディー」だ。