フィジカルインテンシティ

人とのそれが「出会い」で、物とのそれは「出合い」であると、久しぶりに弄ったウィンドウズの日本語入力システムが教えてくれた。思わぬ形で未知の日本語と「出合った」というわけだ。

「一期一会」「袖触れ合うも多生の縁」昔の人が「出会い」を大切にしていたことは、これらの「出会い系」ことわざを見ても分かる。しかし、昔と今とでは行き交う情報の量が違う。例えば「出会い系」サイトで知り合い、実際に顔を突き合わせたとしても、果たして本当にそれは「出会い」なのだろうか。

そう言ってしまうと、現代におけるほとんどの「出会い」は、その実「出合い」に過ぎないのかもしれない、となるが。

渋谷の町を歩きながらそんなことを考え、夜帰宅。コナンは携帯電話物。

http://members.at.infoseek.co.jp/Mshuu/cm38.html

そういえば「CM懐疑」も一年以上書いていないので今度書いてみよう。

ビデオで『市民ケーン』を見る。多少のツッコミ所はあるが、それ以上にオーソン・ウェルズのバイタリティに圧倒される。岡本太郎みたいだ。

松浦亜弥『T・W・O』を録音。MP3面倒くさい。早くiBookを買おう。

ツタヤへ返却。存在を失念していた『アカルイミライ』と、おゴダールを1本。

西尾維新『ダブルダウン勘繰郎』を就寝前二時間ほどかけて読む。

目新しさという点では『ボボボボーボ・ボーボボボー』並の無新しさ。ボの数は知らないが。スタンスとして、長い歴史を経て「探偵物」にくっついてきた様々なものをツブしてはいるのだが、それ足すそれで「キャラ小説」の根幹をなしているものだと勝手に推測するならば、古典的探偵小説と少年漫画、例えば『ホームズ』と『ジョジョ』を、少年時代に両方掬い逃してしまった僕から見て、「何をそんなに守ってるんだい?」と。

だからと言ってこの作者、趣味趣向のフィールドが違うから無視してもいい存在、では決してない。作家としての身体能力が「オリンピック世代」の中では断トツ。稲本だ。

最初に読んだ人は誰もが思ったのかもしれないが、「西尾維新が女の子なんじゃないか」と想像。もしそうだったら西尾純情伝だ。

処女と童貞が等しく、価値をもつフィールドというのは世の中にそう多くないと思うが、公開市場の中では、ここライトノベル界は最大だと言えるだろう。

クロノクルセイド』の録画が始まったのを確認して就寝。