イエロージェネレーション

直球派即戦力右腕。つーかもう、兆治。

プリキュア』は布団の中で、正味半分見る。『ハロモニ。』も後半だけ。腹八分目な日曜日。

夕方、ビデオでショーン・ペン監督、ジャック・ニコルソン主演『プレッジ』を見る。最後の最後まで、リメイク作品かと思いながら。10年も経っていないであろう昔にテレビで2回くらい見た映画が、連続少女暴行殺人事件があって、独り身の男が田舎のガソリンスタンドでコブ付きの女性と一緒に暮らし始め、その子が犯人の次の標的に・・・。という筋で、ブランコ、魔法使いなどどいう小物まで同じだったような黄がするのだ。

(最近、「気」より先に「黄」が出る。身に覚えアリ)

まあ、こんなことは言うだけ野暮というものだけれど、三段論法の二番目だけ言うと、「こんな映画はロリコンにしか撮れない」。

もちろん、意図的とも思えるコピー性には引っ掛かる。僕が昔見たその映画は置いといたとしても、この筋と展開は少女ガラミ映画の典型なのではないだろうか。

まさに終わりよければすべて由乃ラストシーン(変換に多少の乱れが生じておりますがご了承ください)。このラストがやりたかった(思いついた)だけだとも考えられるが、他の主演作、監督作を見ると・・・。ショーン・ペンはまあ、クロだろう。ラストはむしろ「カムフラージュに値するグッドアイディア」だったのかもしれない。

別にハリウッド俳優を庇うこともないのだが、名誉のために言っておくと、ショーン・ペンと、そこから発信される特殊な情報を受信する類種の男性は、この映画の「犯人」になりたいのではない。ニコルソンになりたいのだ。もちろん、ベッドで血のつながっていない少女に本を読んであげるニコルソン、ではなく、ラストシーンへ向かう、潔癖なニコルソンに。

後日、友人にこの話をしていると、そんな僕に、聞いてきた。「じゃあ『ポネット』は?」

「あんなもんオバサンソープ嬢だよ」

もっとも、これは「彼ら」の一般的な感覚とは少し異なっているかもしれないが。健康で文化的な読者諸氏に説明すると、ポネットはもう直球でエロなのであり、妄想が織りなす美しい物語が介入する余地などないのである。

『ワンピース』。ゴッド・エネルは、窪塚洋介のエッセンスを多分に含んでいると思われる。窪塚洋介は、ちゃんと薬にもなるんです、「私」を「公」化する矢印(あるいはその摩擦)で金を稼ぐポイズン先生と逆で。

深夜サッカーを観るため早めに仮眠、そのまま就寝。