アンアグリー

夜、セブンアップを探して下北沢一周歩く。世田谷区北沢をほぼ一周したが、見つからず。ブコウスキーの作品に「ウォッカセブン」として出てくるウォッカのセブナップ割り、が飲みたくて。ペプシの仲間だからサントリーから出てるはずと、青い自販機を見るたび立ち止まるが空振り。家に帰って調べると、サントリーのHPで「沖縄限定」の文字が。同じく「沖縄限定」らしい「マウンテンデュー」は自販機で見つけたんだけど。

東北沢(住所で言うとおそらく目黒区駒場)のリカーショップの棚に輸入物のそれらしきものを見つけるが、閉店後だったので確認できず。今度行ってみよう。

帰宅してマシューTVを見る。マシュー南のタレント性は藤井隆以上である。しかし、その高いタレント性が発揮される寸前に、藤井隆が顔をのぞかせるのだ。出川哲朗から「ウデあげたねー、ウデあげたねー」と褒められていた以上に、藤井隆の舞台回しに感心。出川さんは、フリーの(=お約束という形で契約されているわけではない)竜ちゃんだ。

深夜、正座して『マリア様がみてる』を、録画しながら見る。黄薔薇革命。気になっていたおさげの子、由乃さんが大活躍。

本棚にあった吉行淳之介の『鬱の一年』という25年前のエッセイを読んでいると、「最近女がユーモアを分かるようになってきた。どうなるかというと、今に可愛い女子が小説など書き始めるに違いない。そうなると我々の周りも楽しくなるだろう」というようなことを書いていた。綿矢りさ芥川賞を受賞した今聞くと、一度虫干した上で、新鮮だ。

祐巳ちゃんがぐうとお腹を鳴らす場面、ロサ・キネンシスが「天然ボケ」という用語を使うが、この場面、現在の一般の女子高で、笑いが分かる子をマッキントッシュG4とすると、G3である。ギリギリとはいえ、「サブい」。サブいにカギカッコが付いているのは、僕が普段、無理してG5に振り回されているから。

しかし。いいのである、これで。原作者のスペックが作用したのだとしても、結果として。お嬢様学校のスペックは、『あずまんが大王』(G4=当時最強)のそれではいかんのである。たとえば『あずまんが』3巻39pの二人は「垢」にまみれており、無垢なリリアンの生徒はああなってはいけない。ましてや山百合会の住人とあらば、なおさら。

スペックは置いといて、薔薇さまたちはユーモアを解することができないのかとなると、答えは否。むしろ逆で、「ユーモア止まり」なのである。「井筒監督」を思い出すといい。これは大いに教育環境が作用していると思われる。では綿矢りさ、あるいは祐巳ちゃんはというと、あ、昔僕が綿矢りさと「対談」したときの記録が見つかった。

http://members.at.infoseek.co.jp/Mshuu/jpop/jpop88.html

綿矢りさ、あるいは祐巳ちゃんは、視線の数という点で、比較的、ユーモアを解さないということになる。彼女らのツッコミこそ、「天然ボケ」と言い換えられるものであって。

つづいて『十兵衛ちゃん2』。ここの男子は、マッキントッシュというよりはゲームキューブだな。コンテンポラリーであることには違いない。

シャワーを浴びて『R.O.D』。この番組で唯一不満があるとすれば、それはエンディングだった。クオリティの問題かと思っていたが、今日分かった。別れが辛かったのだ。アニタ同様、少し大人になった僕だった。

ガンスリンガー・ガール』。衝撃的なオープニング。何ナニ、心中??
分かりやすいのでまたユーモアの話をするが、完全オートフォーカス一眼レフであるヘンリエッタのユーモア度が、「ゼロ」。もちろん、彼女のチャームポイントなのだが。

女とユーモアについて語ってきたが、果たしてユーモアの方は女を解っているんだろうか。