ブレスケア

親友であるアニメーターの「アニ君」を飯に誘う。僕が思ったことを素直に言うので、もう自然絶交したがっているアニ君だが、それでは彼のためにならないので対話を持つ。

アニ君は、キャラクターのモンスターである。一年前、僕と知り合いになろうとHP経由でメールしてきたのは、ナイナイのハガキ職人として活躍していた僕と「友達になる」ことで、「お笑いとか詳しいキャラ」を獲得しようとしていたからだった。「キャラ」は彼にとって、まるでファイナルファンタジーにおける「ジョブ」のごとくオプショナルで、オルタナティブである。バンドをやっている友達を作って「音楽とか詳しいキャラ」をゲットし、「行きつけのバー」を作っては、「大人の男キャラ」をストックする。すべてが、昔のホットドッグプレス、あるいはここ最近のSPA!的な「モテ」に通じているわけで、早い話が彼は「童貞」なのである。

アニ君が婦女と性的干渉をもった経験は、十歩譲って、おそらくある。しかし正式に交際をしたことはない。「自慢話」として初体験の話とそれ以降の出会い系サイトにおける成功例を聞いてきたので、それは間違いない。しかし話の整理が付く前、彼は僕に「彼女が『こないの・・・』と言ってきて焦った」という「体験談」を話して聞かせてくれていたのだ。セックス経験とは、そのような童貞アクションで「減るもん」なのだということを彼は知らない。マイナスを加算していくと、生まれたての童貞だ。

そんなアニ君、今日は話の流れの中で「本とか読まなきゃなあ」と言いだした。

一般的な「キャラクター」の話をするとき、僕は「ベグビー」という用語を使う(一月四日の日記参照)。アニ君に決定的に欠けている客観性が痛快に語られている『トレインスポッティング』の原作を必読だと薦めたのだが、彼は今だに読んでいない。よく考えるとその客観性はすべての文学に備わっているものであって、彼の生き方を考えると、それを獲得することは死を意味することになる。僕はアニ君に読書をススメることを諦めていた。その矢先、上段のセリフである。

アニ君は僕と同じ二十四歳。もうできることは限られている。フロムエーに載っていた町田康が「二十五、六歳なら今から楽器だって覚えられる」と言っていた話と、二十八歳でギターの練習を始めたプータローの知人の話をするが、そんな、自分に不利な文言は「聞こえない」。耳に届かせるためには、多少強い言葉が必要になる。そこで僕は心を鬼にする。

「お前は文盲だから、本一冊読む代わりにDVDを三枚見ることで補ったらいいんだ」

真理ではあるのだが、性格上、上っ面だけ汲み取ったアニ君が半ギレしたのは言うまでもない。その際、彼は「そっちから遊ぼうって言ってきといて失礼だ」という言い方をする。彼が末席を汚している「社会」というところでは常識なのかもしれないが、ただ必要なものを交換するのみに終始する対人関係が、どれだけ不健康なものかを彼に啓蒙することは諦めた。もっとも。彼が欲しているのは社会での通貨に変換できるものではなく、2ちゃんねる始め、成長過程の童貞たちが欲する「優越感」なのだが。

とは言っても共通の知人が何人かいて、話題が途切れることのない二人(天気の話やワイドショーの話をしなくても話がつづく友人というのは彼のほかにいない。もちろん、彼とそんな話をしても面白くも糞もないので時間の無駄だが)。楽しく話をしながら吉祥寺の街を歩く。

手帳を買うというので付きあってパルコに入った時のこと、視線が一つしかない彼がよく使う言い回しだが、こう言った、「ヒステリックグラマーって言う店があるんだけど、そこの手帳がいいんだよね。高いけど」。これが三人だったら、僕はアニ君でない方の一人と「目配せ」するだけですむ。しかし二人きりなので、「ヒスね。」と発言せねばならない、アニ君のこういう無粋の強要は僕の神経を圧迫する。しかも、僕の息も絶え絶えの一言が、彼には「聞こえてない」んだろう。何人たりとも彼から主食である優越感を奪うことはできない。

パルコでは見つからず、ロフトに入った時、アニ君が突如信じられない言葉を口にした。「あ、ロフトって生茶パンダが売ってるんだった」。

待て、と。野暮も過ぎれば粋になるとばかりに、二十四歳の男性が、現象としての生茶パンダブームに嫌悪感を示さないのは不健康だと説明するが、アニ君へらへらしている。聞こえていないのだ。便利な身体。小学生のころ、明日の四時間目に授業で発表をしなければならない、とかいう場合などに「このまま明日の給食の時間にならないかな」とよく考えた。嫌な気持ちは、経験した、と言う事実だけ残ってくれればいい、と。

アニ君は、脳内でそれを実践しているに違いない。これは、人類の進化なのである。食事中、ふと「実写の映画も撮りたいんだけどね」というアニ君(彼の名誉のために言うと、技量、質の問題はともかく、彼の仕事はそう言いだしてもまあ許される職業なのであって、だからこそ今の彼があるわけだ)だが、居酒屋で自慢話をし、同席していた知人が口を開きかけたところで場面代わり、始発の井の頭線ホーム、などという映画的な日常をおそらく生きている彼の手腕には心から期待している。

帰宅して、犬夜叉コナンに続いてヘイヘイヘイを見て驚く。キンキキッズ堂本剛ダウンタウン松本人志の初(?)共演が実現していたのである。

合計五年くらいだろうか。剛君の「松っちゃん」っぷりに時には怒り、基本的には嘲笑してきた。大学生になって、アニ君ではないが、1979年生まれの日本男性として、松っちゃんに影響されていないことこそ不健康で、彼は「よくやっている」と思うようになった(ちなみにアニ君が古今東西で一番面白いという芸人は「おぎやはぎ」である)。もちろん剛君自身の努力のたまものでもあるのだろうが。小学生のころ、僕も松印の武器を使っていた。その武器が使えるのはクラスにも数人しかおらず、自分が強くなった気がしたものだ。全国で考えると何万人といるであろう使い手のなかで、剛君は、ひとつのゴールにたどり着いているわけだ。とてもじゃないが嘲笑などできない。

しかし実際絡むと、「呼吸が合っていなかった」が。ウマイ。

感興があったので昨日たまたま思いついて録画に成功したガキの使いを見る。昨日一緒にいた三十代の友人が、昨今の浜ちゃんのホトケさ加減に落胆していたが、僕は今のダウンタウンのバランスが好きだ。瞬発力の衰えが見え隠れしながらも持ち前の身体能力で今まで通りのボケを連発する(それはまるで鳥人ブブカを髣髴とさせる)松っちゃんに、一段飛ばしで引っ掛かる浜ちゃん。四十歳のダウンタウンは、12年前に想像していたよりも心地よい。

クロノクルセイドを予約して就寝。言い忘れていたが、アニ君はこの日記の読者である!