ソーヤング

ローゼン2話見たあと、ARIA The ANIMATIONを我慢してフジテレビヤングシナリオ大賞受賞作「アンプラグド」を見ている。捨てることで立てたアイデンティティを矯正するため、今までなら捨てたであろうモノを「拾う」ためである。

書いた人のモチベーションとしては、末永遥萌えだったんだろうというのが見える。キャストイメージ書くでしょあれ。

なんで昨今、マンガばかりがドラマになるのか分かった。リアリティの問題だ。ドラマのリアリティが気迫になる一方、マンガのリアリティが増している、というのではなく、リアリティというモノの存在自体が、あやしいのだ。

ドラマを作る人間は、カルチャーとかに脳みそを乗っ取られた上で、リアリティを乗っ取ろうとしているんだろう。テレビに実写で映るモノこそがリアリティだよと。

間違ってないよ。っていうかこうして改めて書いてみると、当たり前のことだったよ。テレビに映る実写のモノ意外に、何がリアリティか/だったか。

そんな意識だから、カン違いでも、お茶の間的世界観でも、ラノベも含む文学の若い人が書くもののほうが、よっぽどマシ。野ブタ。って最低の小説だったけど、作者は作者なりに危ういリアリティを生きて、ものした作品だったのだろうと(相対的にねあくまで)、思う。

テレビドラマとは何かが垣間見えた。それは往生際の悪いラノベである。

というわけで我々は、二次元にいきまっしょい!

http://blog.livedoor.jp/nijigenni/