童貞外から童貞内へ

バイトが早く終わって帰って来れたので、ARIA3回目を再生している。3度目なので、アテナさんが笑う秒数とかを数えている(22秒)。若い頃の晃さんすげーかわいいよね。

こたつを出そうと思って少しずつ片づけているのだが、というか100円ショップで本類を収納するボックスを買った数に比例して部屋がキレイになってきている。

こないだ、ピカチュウげんきでちゅうを300円で買って帰ったときにロクヨンのコードが見つからず、2時間探してあきらめて、友達が来たので雑談するフリしながら1時間探したところ、部屋が大変なことになっていた。あなたの部屋に、プチハリケーンが上陸したと想像して頂けばよい。

面白かったのが、大捜索の最後の最後で、ふとコンドームの箱が出てきたことだ。

たとえば、「こ、こーひーでものんでく?」と女性を部屋に連れてきたとして、「いいふんいき」になって、「いざ」となってから、「つけて」と言われて、全裸でそれを探すとして、出てくるまで三時間かかっていたわけだ。たとえばの世界の血気盛んな僕をマンモスに例えたとして、天敵であるギャートルズたちが攻めてきたとき、必要になる武器=牙が、地層、氷層のず〜っと下の方に埋まっているようなものである。ゾウつながりで坂本龍一風に言えば「非戦」。

もちろん、とっくに使用期限も過ぎていたのだろう。捨てたから見なかったけど。そういえばコンドームは使用期限といわず「賞味期限」とよく言われる。こないだこの話を友達にしたとき、互いの呼吸の隙間で「賞味期限って言うよね」と言われたのを確認して、え、そんな「ジョーク感」出てた? と思ったので流したのだが、今「使用期限」と言ってみて、こっちの方が絶対的に正しいということを実感した。……ということを言ってみたくて、わざわざ挿入した「もちろん、とっくに使用期限も過ぎていたのだろう」なのだが、まあ。

ごみごみした話題の結論として「捨てる技術」の話をするわけではなく、たまたま次にしようと思っていた話が、

うーん、たぶん作画がいいんだね、今回抜群に。ARIAの話だけど。あ、ここ! 「私たちは、明日もまた会えるんだからねっ」の藍華ちゃん! YORIKIRI!

じゃあ来年の目標言います。「拾う」!

「拾う」。経験上言えることだが、20代までは、「捨てる」ことでアイデンティティを立てられる。ぼくでいうと、少年ジャンプや、ドラクエシリーズを完全に捨てた。そこを補うための行動が、結果的に他者との差異を生み出し、早熟なアイデンティティが形成され、優位に学園生活を進められる。

ARIA、4回し目に入りました。

しかし、通俗的なモノを捨てることでIDを立てるという若者の行動は、結局、「積極的にIDを拾いに行った」ということにしかならないのである。若者にとって、自我とドラクエは等価なのである。コピペ世代である。とか言いたい訳じゃなかったけど説得力あるねー。

今年はドラクエを8でやったわけなのであるが、なんだかんだで大人である。「大人買い」に関しては一家言あるのだが、ないのだが、あってしかるべきだと思うのでこういっておくのだが、まあ論理は「大人買い」に似たようなものだろう、捨てたモノを、大人の身体で拾っていけば、ID換算で数人分の自分ができあがる。つまり、「人間として成長」できるという算段である。

理論的にはそうなるが、たぶん、実際やってみると、捨てて立てた自我が、拾う行為によって生まれるプチIDどもを排斥にかかるだろう。そして、その摩擦で生まれるものこそが、私が求めているモノなのである。

具体的には、月のベストセラー本とかは、とりあえず読もうと。

そういう話を友達にしたところ、ガンになるからやめろと言われた。まったくその通りだと思う。自我は、寄生主たる自分を守ろうとするのかもめ。無理すんのやめようかなあ。

自我を寄生させるべく「捨てさせた存在」こそが「本当の自分」なのだろうか、よく若者が探しているあれ。彼が、彼にとって邪魔なモノを、捨てさせているのではないか、身体に。

ちょっとシンプルにしてみると、捨てて育ったオレ=クリエイティブなニート、拾って育ったバカ=ヒラリーマンとしたいんでしょ、おい、そこのお前!

そういうわけじゃないんだけど、まあとりあえずそうしてみると、ベストセラー、例えば『頭の良い人・悪い人の話し方』、『生協の白石さん』でも『三丁目の夕日』でもいいや、『さおだけ屋』でも。それらを「拾うこと」は、双方にとってガンに近づいていることに代わりはないのだが、プロセスは逆である。前者=ぼくにとっては、先に述べたとおり。後者にとっては、なんでだろう。何か知らないけど死ぬじゃんあいつらガンで。

ARIA The ANIMATION』#11、これより5回し目入ります。

最初にココに持っていきたいと思っていたことだけ書いてARIA The ANIMATIONに集中したいのでそうすると、「童貞」である。

ガンになりたくなくて、本当の自分に支配されたパシリとしての自我は、「童貞」を「捨てる」。

その童貞を「拾う」というのを、私は今ココで、来年のモードとしてススメたいわけである。

あ、リーマンがガンになる理由が分かった。それは何かを捨てるからでも拾うからでもなく、「人は、死ぬモノだから」だ。「人は、死ぬものだ的カチカン」を形成するというのが、拾い続けることの結果なのである。

童貞を拾おう。

そうすれば、ニートもリーマンも、ガンになって死ぬ。「人は死ぬものである」のだし、「人は死ぬものである」的カチカンは、それを有さない人間を殺すのである。それがガンの正体である。

でもそのかわりエイズは免れれるし。つーかまあガンも、アガリクスでなおるけどね。