文学賞に落ちました。<8>

本気で芥川賞を狙って書いたのに群像新人文学賞の一次選考にすら引っかからなかったので解説付きで載せれば伝わるんじゃないかと思って始めた企画の第8弾。

(『トーキョーボーイ』これまでのあらすじ)日課として一日一匹のカラスを蹴り殺している売れないピン芸人「トーキョーボーイ」。歌舞伎町の人の流れに身を任せているうち、ダイエットペプシツイストの空き缶をヤクザの眉間に蹴り込むハメに。全力疾走で逃げ出したトーキョーボーイが行き着いた先は・・・? ABCマートで買いたい靴がなかった、ある夏の物語。

 歌舞伎町とのギャップありきなのだろう。しかしやはり暗さと静けさは、闇と静寂をシェイクしたカクテルとでも例えたい気分にさせられ、それが、施錠されているその背の高い門の奥から流れ出てきているようだとでも表現して、少しも大げさとは感じない。切れていた息を整える。
 さっきの文脈で行けばカクテルを半分ほど飲み干したということになるのだろうか、闇に慣れた目で見上げると、門の奥ではカラスが好んで寝床に選びそうな背の高い木がぬるい風に揺れている。小さな固い葉を持つ植え込みで囲まれた門前の広場は、立ち上がったキリンくらいの高さの頼りない街灯に照らされており、少数の寝静まったダンボール箱以外に人気はない。Tシャツの胸と背中は汗で濡れ、ジーンズの左後ろポケットから引き抜いたトカレフの銃身も薄く濡れている。この時間、車もほとんど通らない道路を挟んだ五、六階建てのビルの一室に明かりがついている。斜向かいのブロックの奥にライブハウスでもあるのだろうか、時折、ドアが開いたのだと思われる短い時間、テンポの遅い音楽が漏れ聞こえてくる。
 左前ポケットに何か入れてあるのに気づいて取り出し、銀色の包装を剥がし、掌に乗せる。スヌーピーの絵がプリントされたお手玉のようなもので、添付された紙切れには「FOOTJUG」と表記されている。要するに足でやるお手玉、お足玉だ。小生、脚には少々、覚えがござる。
 目の高さほどまで放り上げ、右の太ももで受け止める。ざ、という音を立て、肩の高さまで上がり落下するのを右足の甲で蹴り上げる。やや前方に逸れたので右膝を踏ん張り、左足の甲で蹴り上げようとしたが爪先に当たってしまい、大きく前方へ飛んでいった。小走りで拾いに行く。
 ざ、ざ、ざ、ざ、ただでさえ連日の格闘で疲労が溜まっている右足に負担をかけていることは承知しながらも、つい楽しくて没頭してしまう。
 落とすことなく二十回ほどは蹴り続けられるようになったころ、四本先の街灯に照らされた、女性らしきシルエットに気づいた。黒っぽい、体に張り付いた、トレーニングウェアらしきものを身に付け、ストレッチらしきことをしている。深夜のジョギングにしては、気合いの入ったストレッチングだ。まるでこれから短距離走でもするかのような。と、思うが早いか、五指をぴたりと付け肘を直角に曲げ、太ももを高い位置にキープした、まさに短距離走のフォームで、全速力だと思われる形相と速度で、こちらへ向かってきた。片方の手に、何か握られている。
 FOOTJUGに邪魔だったので、トカレフは植え込みの辺りに置いてある。距離はみるみる内に縮まってくる。髪の長い、やはり女性のようだ。どう考えても、こちらに、突進、してきている様子だ。
 やられる。
 覚悟を決めたが、彼女は俺の、十センチ離れない脇を、エキゾチックな風を残して通り過ぎた。すれ違う際に確認されたのだが、手に持っていたのは、歯磨き粉だ。恐らくは歯の再石灰化効果を促進する成分が配合された、高級歯磨き粉。今の走りに満足が行かなかったのか、十メートルほど離れた場所で止まり、振り返った女は、首を傾げたり足首を回したりして、二本目の準備を始めているようだ。危険はないようだが、どう考えても頭はオカシい。関わらない方がいいだろう。後ずさりし、女が徒歩でスタート地点に戻るのをやり過ごす。女が、すれ違いざま、ちらりと、初めてこちらを見た。半分だけ焦点が合っていた。十代にも見えるし、四十代にも見える。あるいは日本人ではないのかもしれない。
 背中を向けたのを確認し、視線を外さずトカレフを拾い、右前ポケットに挿す。銃身のポジションが気になり、一瞬だけ視線を外した間に、女はもう、街灯四本分、距離にして百メートルほど先のスタート地点に戻っていた。
「アナタスポーツイッショシタヨ!」
 背後から声。振り返ると、さっきの女だ。近くで見ても年齢が分からない。日本人でないことだけは分かった。何となくだが、中国人のような気がする。
 二本目のスタートが切られたようで、さっきと同じフォームで疾走してくる女。通り過ぎる際に街灯に照らされて明らかになった、全力疾走で歪む顔は、今、俺の肩に手をかけている女とまったく同じだ。双子だろうか。やはり十メートル先で止まり、首を傾げ、足首を回す女。ゆっくりと徒歩でスタート地点へ戻ってゆく。そしてすれ違いざま、こちらを見る。
「チュコクシキオモイシラセルネ!」
 いつの間にか両肩に置かれていた手に力が入れられ、反射的に振り返ると、女が、二人で、にたりと笑った。視線を戻すと、三人目がスタート地点に立っていた。

 十二人目がスタートを切ると同時に、俺はアスファルトに引き倒され、全員から一斉に犯された。途中、一人が戯れでトカレフを発射し、内一発が腹に命中したとき、言い得ぬ興奮を覚えてしまった。

 夜が明ける頃になってようやく十二人の中国女は思い思いの言葉を吐きながら走り帰ってゆく。最後まで残っていた女が、にたりと笑って中国語らしい言葉で何か言い、黒い小瓶を差し出した。一昔前話題になった中国陸上エリートチーム「馬軍団(まーぐんだん)」のスペシャルドリンク、らしきものだ。どうしても玉手箱を思わせるその小瓶を開栓し、匂いも嗅がず飲み干す。全身に精気が漲ってくる。どう低く見積もっても過剰反応している全身の毛穴から噴出する、しかしどこか優しい、牧草のような匂いに包まれ、気づくとどう客観的に見ても俺は馬になっていた。馬のことは詳しくないのでよく分からないが栗毛の3歳牝馬とかその辺りの馬だ。さあ各馬一斉にダートイン。桜花賞取って人生謳歌ショーとばかりに、馬になった俺は金色と朱の縞々朝日を背にして新宿通りをジャスト一馬力で駆け抜ける。

(つづく)

(妖精さん)えっちなのはいけないとおもいます。