文学賞に落ちました。<6>

本気で芥川賞を狙って書いたのに群像新人賞の一次選考にすら引っかからなかったので解説付きで載せれば伝わるんじゃないかと思って始めた企画の第6弾。

(これまでのあらすじ)売れないピン芸人・トーキョーボーイは、一日一匹のカラスを蹴り殺すことを日課とする。寝坊して蹴り殺し損ないかけたある日、夕焼け降り注ぐ烏の塒(ねぐら)へと乗り込み、産毛から生え替わったばかりの一羽の若いカラスを囮に何とか蹴り殺し仰せたトーキョーボーイは、いつか復讐しに来いと若カラスに告げ立ち去るのだった・・・

3.ある日
 
 早朝に軽く一羽こなして、タモリのいない土曜昼の新宿を颯爽と歩く。修学旅行生だろうか、田舎臭い制服を着た、中学生だと思われる女子生徒がドンキホーテやチケットの大黒屋・ブランド館を興味深そうに眺めている。ここ数日の連戦で土踏まずの辺りが軽く張っているような気がするのでさっきから手ごろな値段のフットマッサージを探してみているのだが、目に留まる看板は、例えば縦八十センチ、横六十センチほどで、色はピンクと白と水色に塗り分けられており、さらに周囲を黄色い電球で囲われているというような具合で、性感マッサージと区別がつかないものばかりだ。必ずと言っていいほど添えられている「中国式」「台湾式」「韓国式」等というのも、土地柄、性的なサービスの内容を想像させられてしまう。中国式はさぞすごいのだろう、では韓国式は、などと勝手な妄想を続けているうち、次第に風俗店に行ってもいいのではないかと思えてきた。財布の中に今いくらあるか思い浮かべる。ここで言う「財布の中」とは、黄色や赤や緑の看板を掲げる店舗で引き出し可能な金額も含めた雄大なものだ。
 黄色を選択して二万円を引き出し、お申し込みコーナーと書かれたスペースに添えつけられたカゴから飴を一掴み、ポケットティッシュも三つ、ついでにボールペンも失敬してトートバッグへ入れ、外に出る。目指すはもちろん風俗店情報スペース「HMB」だ。
 三千円引きのブロンド専門ヘルスと総額七千円ぽっきりのギャル系イメクラ、オプション五百円引きの個室ビデオ店、計三枚のクーポンを持ってコマ劇横の立ち食い蕎麦屋に入り、ちくわ天うどんを二分で食い、店を出てコマ劇の前が異様な熱気に包まれていることに改めて気づいた。
 四、五百人はいるのではないかと目測される、中年女性の行列。見上げると精細なタッチで描かれた一人の青年の笑顔が輝いていた。今日は氷川きよしのコンサート、初日らしい。
 このオバハンたちが今十円ずつ俺にくれたとしても、五千円になる。百円なら五万、千円なら五十万だ。以下省略。くれないかな、と思い、カニ歩きで列に近寄ると、独特の匂いにはじき返された。香水だけでこの奇跡の調合はできないはずだ。調合の粋はホルモンバランスの乱れに違いない。
 それでも、ちょっとしたサービスくらいは、するのだが、と風俗へ足が向きかけていたことも相まった妥協をしかけて、氷川きよしはその「サービス」の代価としてこのオバハンらに一万円ずつもらい、座長公演を果たしているのだという、ごく当たり前の場所に思考が立ち戻ってきた。馬鹿らしくなってきたので、この五百人が、全員十九歳だったらと思いを巡らせる。
 もしもこいつらが、五百人の十九歳だったら。ぼくは五百個の性器でできた赤絨毯の粘り強い感触を愉しみながら転がり、瑞々しい肌色の肌の間をぱたぱたと泳ぐ。いつまでも泳ぐ。爽やかな酸味を持つ汗が、清流の最上のごとく静かに沸き起こり、滴り落ちる。狂ったイルカのように、ジェイジェイ、キャンキャン、ジェイジェイ、キャンキャン、アンアン、ノンノ、ウィズ、モア、ボーチェと、ダイブを繰り返すぼく。
 ではもし、十八歳だったら?
 もし十七歳だったら?
 十四歳だったら?
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 八歳まで数えたところで勃起角度が緩やかに下降し始めたので詩うのを中断し、再び現実に目を向ける。所々から聞こえる会話の断片から判断するに、これは当日チケットを買い求める行列のようだ。最後尾付近に立っていたのに、あれよあれよという間に俺の後ろにはもう、二百人ほど並んでいる。今列を抜けれてやれば、交渉次第では一人十円ずつくらい貰えるのではないかとも考えたが、偶然ながらも当日券をゲットできそうな位置に並ぶことができたのだからラッキーだと思い、そのまま並ぶことにした。
 カラスが鳴き始める時間になってようやく入場できた。当日券、八千九百二十五円。座席は「ト-38」、三階席最後部の中央やや左側だ。キャパは、見たところ、二千弱だろうか。二百以上のキャパを持つ会場で芸を披露したことのない俺にとっては、普通に別世界の舞台だ。超満員の客席を一望する。やはり客の大部分がオバハンだ。平均年齢は低く見積もって四十六、七歳といったところだろうか。ホルモン香水の匂いは、鼻が馬鹿になったのか、気にならなくなっていた。場内に薄くかかっていた三味線のBGMが、次第に速く、大きくなる。この位置からはただの赤い壁に見える緞帳がゆっくりと上がり、テレビの上に置いたペプシマンか何かのボトルキャップフィギュアサイズの氷川きよしが現れた。
 一斉に上がる黄色い歓声。ずん、ずん、とベースだかドラムだかの音がそれを煽る。この曲なら俺も知っている。『きよしのズンドコ節』だ。黄色いとは言ってもこの乾燥生ゴミどもから発せられるものだ、賞味期限はとうに過ぎており、からからに乾いている。乾ききった黄色い歓声は次第に実体化し始め、春先、中国から偏西風に乗って西日本に飛来する「黄砂」のようになった。それは次第に濃さを増し、気が付けばきよしの立つステージを覆い、一階席を埋め、二階席を埋め、ここ三階席の高さまで積もり、ついに場内は砂丘と化した。
 黄色い荒野を見渡す俺の目の前に、突如立ち現れる枯れ果てた女性器。二千個の。その二センチ脇には、もう吹き出る力のなくなった吹き出物。干涸びた二千個のそれ、一つ一つに、俺はトカレフで弾丸を撃ち込む。土に還る特殊樹脂製の弾丸の中に、ある花の種を埋め込んだものだ。山火事のときにだけ種を飛ばす、赤道付近の植物の種。きよしによるドドンパの掛け声とともに二千個のそれから一斉に蔓が伸び蠢き、コマ劇場内は砂漠から一転、熱帯雨林と化す。花とそれとホルモン香水が一緒くたになった猛烈な匂いが館内に充満。スプリンクラー作動。水と粘液を滴らせながらなおも二千個のそれと、それから伸びた蔓は蠢く。長く垂れた乳房が乱舞し、ぶつかり合う音は次第に揃い、ドドンパと共鳴。パ、で瞬く蜜壺から噴出する水、汗、粘液、潮々。生命の神秘。スコールに躍るジャングル。色とりどりの光線を浴びた股旅姿のきよしが、ステージから客席に一歩、足を踏み出す。映画『クロコダイル・ダンディ』のラストシーンさながら、頭や顔面、蔓や花弁、尻や女性器でできた花道を踏みしめて、きよし、正面扉から堂々退場。

妖精さん)そんなわけ ないよね。