文学賞に落ちました<5>

本気で芥川賞を狙って書いた小説が群像新人賞の一次審査も通過せず、もったいないので「妖精さん」の感想つきで全文掲載しておこうという企画の第5弾。今日のは第2章。

(これまでの あらすじ)

売れないピン芸人「トーキョーボーイ」は、新宿で偶然カラスを蹴り殺したのに味をしめ、「一日一匹のカラスを蹴り殺す」というのを日課とする。おもちゃのトカレフジーンズの後ろポケットに挿し、今日もトーキョーボーイはカラスを蹴り殺すべく街へ繰り出す。

2.ある日

 目を覚まして携帯を掴み画面を見ると、予想外の数字が示されていた。体を起こし少し冷静になって数字が示す意味を考えると、どうやら午後の四時を過ぎている。十三時間前の午前三時、眠りにつく直前に携帯電話のアラームをセットしようかとも思ったのだが、ここ数日は午前の八時にもなれば寝苦しさで目を覚まし、エアコンのスイッチを入れなければ二度寝できないという、アラーム不要の猛暑が続いていたので、今日も必要ないと思っていたのだ。しかし今スイッチを入れたテレビで気象予報士が説明するところによれば、今日は遥か南にある台風の影響で雲が厚く、連日の真夏日がようやくストップした日らしかった。ゴミ収集の時間には起きてカラスを一羽蹴り殺そうと思っていたのに、もうすぐカラスが鳴く時間だ。

妖精さん)いきなり、ぴんちだね。

 田舎のカラスは夕方になるとかあと鳴き、七つの子が待つ山に帰ってゆくのだろうが、東京のカラスはたぶん、そのようなことをしない。どこかに潜んで明日の会議などしているに違いない。ただし、夜になると戦闘においてこちらが不利になることは否めない。彼らは黒いし、何より俺は鳥目なのだ。
 寝巻きとしていたパイル地の灰色ハーフパンツに黒Tシャツという格好で、髭も剃らず携帯と財布とトカレフと自転車の鍵を持って立ち上がる。昨日購入した、脛保護用のレガースが入った「サッカーショップKAMO」のナイロン袋が目に留まるが、着用する時間がないのでそのままアディダスのスニーカーをつっかけて鍵もかけず家を飛び出す。

 

 赤々とした夕陽に照りつけられ、Tシャツの下が汗ばむ。ファミレスのタンドリーチキンにでもなったようだ。
 十分ほど自転車を漕いでたどり着いたのは、格好よく言えば、やつらのアジトだ。渋谷区郊外の、閑静な住宅街。斎場があるため、条例か何かで静閑さが保たれているのだ。斎場の裏手にある広場に自転車を止め、息を整える。少し前、まだコンビを組んでいたころにここを練習場に使っていた。その際に何度か、当時の相方がカラスに襲われていたのを思い出したのだ。「七つの子」はたぶんここにいる。
 右前ポケットにトカレフを仕舞い、禁止の看板を無視して犬の散歩をしている数組の中年女性をやりすごす。紫色のサングラスをかけたおばさんに連れられて脇を通ってゆくゴールデン・レトリバーの側頭部をローキックで蹴りたい衝動に駆られたが、いかにも駄犬ですというレトリバーの阿呆面が可愛く思えたのでやめた。第一俺に犬を蹴る趣味はない。カラスを蹴るのも、別に趣味というわけではないが。
 日はまだある。携帯を見ると、五時十五分だ。即席で今日の作戦を立てる。まずは、木登りだ。子供を見つけ、できれば誘拐。威嚇、攻撃してきたカラスをトカレフで迎撃。足下に子供を置いて、近づいてきたカラスにローキックだ。ローキックは軌道の小さい、押し出すように蹴る空手式のものがいいだろう、と中学時代にカラテの通信教育キットを買ってしまった、その元を取ってやろうという商人根性で、判断した。
 クヌギだろうか。サクラだったかもしれない。キンモクセイではなかったはずだ。西日に照らされた木の内側は、永久エネルギーに満ちあふれた二十二世紀の居住空間のようだ。てっぺん付近に止まって威嚇してくるカラスをトカレフで打つ。巣があるのは間違いないらしい。ここで相方と練習したのは春先だったからもう巣立ちしてしまっているかもしれないと今さら思う。
 これ以上登ると折れてしまうと判断した、さらに一メートル上、ほとんどてっぺんに巣があった。草や針金らしきもの、ピンク色のハンガーも使って器用に作っている。巣につながる枝を手前に思いきり引き寄せるとこちら向きに傾いて、中にもうかなり大きな雛がいた。艶のあるもこもこっとした毛に覆われ、口を真っ赤に開いてきゃあきゃあ鳴く姿に、思わず母性本能を刺激される。掴んだ枝を揺らすと巣はほぼ九十度に傾き、鳩よりも一周りほど小さい雛が落ちる。咄嗟に手を伸ばすが、そのまま地面へ一直線、落下した。死んだだろうか。
 木から降りて落下地点を見ると、雛はまだ生きていた。怪我しているかは一見したところでは分からない。トカレフを握ったままその場にあぐらをかいて座る。すぐに水色とオレンジのグラデーションに染まる空の中間辺りで金切り声をあげる、黒いシルエットが確認できた。

 

 広場の裏手に立てられた都営住宅だかどこかの社宅だかのモルタル壁に、スパッスパッという小股の切れ上がったトカレフの発射音と、けぇけぇというカラスのわめき声が反響する。

 

 再び登った木の内側は、さっきよりも涼しくなったようだ。巣まで二メートル程のところで止まり、バスケのシュートの要領で雛を投げる。リリースの瞬間、中指の先に重みを残して飛んで行き、巣の側面に当たり、再び落下。
 ばさ、という音とともに、雛が倍の大きさになった。二度、三度羽ばたき、着地。よく知らないが、もう巣立ちできる大きさだったのかもしれない。何だか置いて行かれたような気になり、俺も木から飛び降りてみる。昔はこうしてよく高いところから飛び降りていた、と空中で懐かしい気分になったが、着地で老いを感じた。老いとは自分と重力との関係だと、たまに遊びでバスケなどすると思い知らされる。
 足下で今まさに飛び立とうとする若い生命。踏みつぶしたいとも思ったがやめておき、左手で首根っこを掴み持ち上げる。けーけーもがく。手持ちぶさたの右手をハーフパンツのポケットに手を入れると、中指が何かに触れた。B5サイズを四つ折りにした黄色い紙だった。半ば仲間内への冗談のつもりで半年後に使用料の安い三軒茶屋の会場を押さえてある、ピンになって初の単独ライブを告知する簡単なチラシだ。おみくじのように細く折畳み、暴れる雛を押さえつけ、足に結びつけておいた。上空を数羽のカラスが旋回している。いかにも不吉な光景だ。明日の朝までこいつは生きていられるだろうか。お腹が空いたらそこの、母親だか父親だかの肉を食って生き残ればいいからね。上のおじさんたちの言うことをよく聞くのよ。じゃあ、またね。
 陽はいよいよ沈もうとしていて、東側の雲はもう黒に近い紫色になっている。自転車のスタンドを起こし、帰路に着く。赤に近いオレンジ色の西日が元々オレンジ色の自転車を照らし、右側に長い影が出来ている。顔を上げて前を向くとすぐ先に蚊柱。慌てて呼吸を止める。

(つづく)

妖精さん)なんだか うんめいを かんじるね。