盲人独笑

“お笑い看護師”養成 大阪府、漫才師ら指導

ストレス解消に効果があるとされる「笑い」を医療や福祉の現場に生かそうと、大阪府は2日、吉本興業などに所属する漫才師や落語家の協力を得て、府立病院の看護師や福祉職員らに笑いが取れる話術を指導する方針を固めた。(共同通信

あ〜さ〜く〜らァ〜っ!!

早朝にセブンイレブン恵方巻きを買って朝ご飯として食べた。今年の恵方は西南西だと書いてあった。コンパスを覗いてみると、いつも座っているところから、テレビを向いた方角だったので目覚ましテレビを見ながら黙々と食べた。しゃべっちゃいけないというので、アニメを見ながらは食べなかった。

食べるとき、目を見開き気味にして白い歯を見せ恵方を指さして確認、という動作を、体が勝手にしていた。最近個人的に松っちゃんをバカにしすぎなので気をつけたい。

昨日の晩はバイトに本を忘れたので、鞄の中にあった『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)をパラパラめくった。「赤い部屋」という短編の主人公が「私の近所にめくらの按摩がいまして、それが方輪などによくあるひどい強情者でした」と言っていた。これは手塚作品なんかの巻末にあるようなことわり文ではフォローしきれない言いよう。実際、主人公はこの按摩を、落とし穴に誘導して殺してしまうのだから酷い。

お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの。

当たり前の話である。どう当たり前なのかというと、ジャイアンのび太に対して言う有名な台詞という点で当たり前の話なのである。保坂和志『プレーンソング』をバイト中に読んでいて、この当たり前さについて思った。ちょうど、バリコーヒーを貰う辺りでの話。

のものものものものもの。俺=野茂とした場合、仮名二文字を繰り返し使って意味をなす、かなり長い部類に入る一文ができあがる。

と、いうような、これは今たまたま、お、たまたまたまたま?… 手が動いて書いたわけであるが、年齢とか、受けてきた教育とか、コンプレックスとか色々あるのだろうけど、「お前の…」の一文をどこかで見てまず、ジャイアン的に当たり前であることに疑いをかけ、それがそのままの、当たり前の文面だったときには腹立たしさを覚えるなあ俺は。

というような思いだった、巡らせたのは。

本当は、『プレーンソング』を読みながら思ったのは別のことで、下北沢の町中から「お前の…」が聞こえてきたときに思ったのだったことを今思い出した。目が痒かった。