パラレルワールド

昨日はバイト中、イラクかどっかで殺害された幸田くんを悼む押韻を構成していたのだが飽きて、紳助問題について考えざるをえなくなった。

訴えた人が「帰国子女」だという報道で、話がシンプルになった感じがある。

当時常務だった木村政雄が著書(『笑いの経済学』集英社新書だったと思うたぶん)で、昔の、払うべき税金すら少なくて済んだ、「人間じゃなかった」芸人に対して、大正時代だかなんだかに月給制を持ち込んだというくだりだったかどうだか忘れたが、「よしもとは芸人の世界に初めて近代を持ち込んだんですねん」と誇らしげに言っていたが、そういうシンプルな。つまり、「前近代VSグローバル」という。よしもとは、少なくとも木村常務の頃は「打倒ディズニー」を打ち出すほど、Gの方にわーっとなっていながらも、そうゆうのが、旧態依然として残っている。Gを取るなら紳助が悪い、取らないなら、今までの「成長」はウソかいカネ返せという。どっちやねんという、いたってシンプルな。

しかし、ネットなんかで見てみると、別に帰国子女って分けでもないらしい。帰国子女だったとしても、漫才ブームの頃に「のりお・よしお私設応援団を一人で立ち上げた」という女性の両目のフォーカス具合からして、Gの図式はこの際、置いておいてもいいような気がする。

となると、どっちでもいいのである。関係ない。ダイノジの大谷さんとか、ナイナイの岡村さんとかと同じような、紳助を擁護する反応を、第一報を聴いたときに、体が示した、少なくとも(そういう意味で、ネットに載っていた、「法律では違うが、女性の行動は犯罪的だ」という松尾貴史の意見、耳当たりが良かった。ただ、紳助の暴力を「体制」の問題から、「クリエイティヴに不可欠なテンションのなんとか」という問題にすり替えているのは、なんだか姑息。)。

でも、よく考えたらどっちでもいいよ。

前時代VSグローバルの図式ならまだ、この世界で生きていかなきゃいけないわけだし、お笑い関係の仕事で飯を食っていこうと思っている人間でも実は僕はあるので、関係がある。その際、望ましいのは、ケンカ両成敗。紳助も被害者も、良性、悪性の腫瘍でしょ、各時代の。取り除いてから再発に備えりゃイイじゃん。岡村さんがよく言ってたけど、「上は詰まってる」わけで、紳助がやめれば、席が空くじゃん。個人的に、紳助別に好きじゃない。いてもいなくてもいい。紳助でいいんなら、徳光でいい。それくらい、いてもいなくてもいい。あああと紳助とだれ合う松っちゃんだって見たくない。二人とも何にも言ってないもんあの番組。あってもなくてもおんなじ。

どっちにしろ、関係ないところでのカネの動きだ。ボクの腹が満たされるわけじゃない。あなたのも。白ゴマを一粒、犬歯で噛みつぶして飲み込んだほうがよっぽど実になる。バイト中以外に考えることでもない。幸田くんを悼む押韻の方が余程いい暇つぶしだ。