フリクションテープ

昼過ぎに目が覚めてテレビをつけると、地震で崩れた土砂の下敷きになった親子を救出している、ライブ映像が流れていた。母親の声が聞こえてきたそうだ。息子は、奇跡的に助かったらしい。今、母親の方を助けていると。

買い物に出て帰宅し、パソコンをつけると、立ち上がったヤフーのニュース欄に「母親は死亡」とあって驚いた。

テレビをつけると、母親は即死だったと見られる、という。では「声」は何だったのだろう。

ところで先日、月曜の『ブラックジャック』は、「本日放映予定だった話には地震の場面が含まれておりました。配慮いたしまして、本日は別の話をお送りいたします」ということだった。

今日、起床してテレビをつけて、救出場面だと把握するのに要した時間は0秒だったが、それは『ブラックジャック』と、そこから派生したドラマ(例えば『ハンドク!』の最終回なんかも、こういう場面だった)を見ていたせいだったと思う。

置き換えられた『ブラックジャック』のエピソードがどのようなものだったかは知らないが、その「感動」は薄っぺらいものではなかったと思う。被害者を励ます効果も期待できるのではないかとも思う。テレビ局を舞台にしたドラマだったら、主人公はクビを覚悟で放映していたのではないか。

「このドラマはフィクションであり、実在の…」云々の意味を知ったのは小学生のころだったか。薄ぼんやりと、苦情や訴訟を逃れるための布石だと思っていた。が、今改めてその意味を考えると、ドラマと現実の世界は「完全に、別物」なのだという、強い断絶を突きつけられた思いだ。

ただただ消費するためだけに『ブラックジャック』を、「ドラマ」を放映しているのならば、いっそ何もないほうがいい。この度の救出「劇」だって「奇跡」を消費したいだけなんだろう?

もう、テレビから流れるのは萌えアニメだけでいい。