テレビピープル

夜、新宿へ。先週に引き続き友人の作家T君と飲み。

知り合いだという、某放送系専門学校上がりの若い女の子が同席していたのだが、世代のギャップではないと断言した上で、その立ち居振る舞いに、もう少しで汚い言葉の一つでも吐きかけるところだった。たとえば、

「クソ女」

とか。具体的に何がどうなのかというと、集約されてくるのは「耳がない」というところだろう。もちろんオレンジ・デイズのように可愛いもんではない。聞きたくないことが本当に聞こえないという、近年増えつつあるらしい新人類のものよりも酷く、彼女の場合は「答え」の中に自分が埋もれてしまっているのだ。すべての外部情報を「ありえない」「あるある」「意味がわからない」とだけ整理していれば、答えを確認してそこに埋もれている自分を発見できるという算段。欺瞞という言葉の介入する余地は、当然ながら、ない。

大人はこういうクソな人達に対して「いつか痛い目を見る」とか「それはまだ甘えてるんだ」とか諭して満足するのかも知れないが、こちとらそんな余裕はないし、結局それは一つの「答え」にすぎない。

象牙の塔からはとっくに降りてきたのだが、それでもやっぱり世の中にコミットしなければ、自分が殺されると思う、こういうのがいるんだもん、世の中って。

こんなクソを再生産し続ける専門学校は燃やしてしまえばいいと思います。

T君とファミレスで飲み直し。朝まで、主にネットでは書けないような話。