熊本で起きたハンセン病療養施設の入所者宿泊拒否問題。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/leprosy/

ホテルは廃業する感じになっているらしい。テレビのニュースで聞き齧ったたけなので偏見があるのかもしれないが、そう報道されているのだと捉えて貰うとすれば、「ホテル、100%悪いか?」と思う。

結果的に、ごくアドリブ的(つまりは本質的)な「差別」が法に触れてしまったわけで、もちろん「知らなかった」で済まされるコトではない。しかし、「知らなかった」で済まされない、で済ませてしまってよいのだろうか。

なぜ「知らなかった」のかということに疑問を覚えないかぎり、同じような事件は繰り返すことになるだろう、ハンセン病キャリアの人が「絶滅」するまで。そしてまた、リメンバーの繰り返しである。

時々テレビのドキュメンタリー番組で見かけるハンセン病の芸術家達。まさに瓶の中の帆船のごとく幽閉された彼らの表現は、近い将来の「リメンバー」を希求しているように思えてならない。すべての「芸術家」にそれは言えることなのかもしれないが。

他視線の排除。俗っぽい、というか俗そのものの言葉で言えば、「ツッコミの拒絶」がハンセン病の周囲に満ちている。間違っても当事者達は、ハンセンフォークと称して路上で「ライラライラライラライ・・・」と歌わないし、秩序のない世の中にウエスタン・ラリアートを決めることもない。ノリが悪い、のとは違う。ノリを強要されているのは、我々なのだ。熊本のホテルは、無自覚に無邪気に、無遠慮に無神経に「うわ、気持ち悪っ!」というツッコミを入れた。

ツッコミのない漫才は、すなわち戦争である。