ジャンクボーイ

19時半からの「漫才バカ」ライブに、大学時代の友人Nを誘う。

彼のことを簡単に説明しておく必要があるだろう。僕が所属していたお笑いサークルの部長として、京都での大学生活の大半を一緒に過ごしてきた、3歳年上の同級生である。そんな彼は去年、僕とほぼ同時に上京したが、元来の「生きにくさ」が、これは彼の最大の武器でもあるのだが、東京の生活では不幸にも裏目に出続け、今年までに三回しか会えていない。

最初に会ったのがワールドカップに沸いていた六月で、何度電話しても「話し中」の音がするという迷惑な奇跡を乗り越えて今年の五月に再会したとき、「去年早稲田大学教育学部に合格し、通っている」というどんでん返しを食らわされ、この人はまだ行けると確信したが、それ以来、また音信不通が続いていた。

久しぶりに電話をかける。プルルルルル、過去のことがあるので、この通信音だけでも安心感を覚えてしまう。プルルルルル、大学時代、部長であったNは、人と話したくない時、後で言いわけする、でもなく電源を切る、でもなく、「充電を切る」という荒技を使って僕たち部員とのコミュニケーションを、保っていた。プルルルルル、プルルルルル、向こうからかかってくるとき、Nは必ず5コールで切った。曰く、「5コール以上鳴らすのは電話の強要になるから」。プルルルルル。もしNがこの着信音を聞いていたとしたら、6回目の音は彼の取って、僕からの説教という意味を持ってくるだろう、それを分かった上で、踏みとどまった。プルルル、「もしもし」。

新宿西口の喫茶店で、チーズケーキセットを注文。電話を取りだして、発信披歴を見る。17時8分、9分、12分、「N」。約束より少し遅れてしまったことをわびようと電話したところ、ワンコールで出た。

「まただよ・・・。N(彼の名字)ってのは、いつからこう、弱くなっちゃったんだ・・・。ピー」

留守電の即席メッセージだった。その手間があるんだったら、とも一瞬ツッコみかけたが、思いとどまる。もしかするとNは、「いよいよ本格的に」なのかもしれない。

一緒に行く予定だった友人が、偶然にも彼の家の近く(そのおかげでNのアパートを探し当て、ドアに「やっと会えたね」と辻仁成の名言を記したメモを残し、二度目の再会を果たすことができたのだが)なので、来る途中に拾って来てもらえるかな、と頼むが、少し心配だったので僕も一緒に行くことにした。

バスを降りると雨は止みかけていたが、いつ雪に変わってもおかしくないほどの寒さ。友人と合流。キリンの自販機で温かいココアを買い、手袋に包んでポケットに入れ、Nのアパートへ向かう。

部屋に着くと、テレビがついているのが分かる。ノックするが、出てこない。電話にも出ない。名前を呼んでみる。「温かいココア持ってきたから。大丈夫だから」と呼びかけるも、反応なし。時刻はもう7時になろうとしていて、このままではライブに間に合わない。ゲストが昭和のいる・こいるだと言うとNは驚いていた。僕らが大学でお笑いをやっていた時、ちょうどのいる・こいるがテレビ的にブレイクし、Nは「しょうがない」という言い回しを気に入っていた。本家と反対にNの言う「しょうがない」は底なしに重く、そのギャップに僕らは爆笑したものだ。

鞄をさぐると映画の半券があったのでボールペンでメッセージを残してココアのプルトップに挿む。「ココア置いとくから!」そう言い残して駆け足で会場へ向かった。バス、山手線、小田急線と乗り継いで何とか開演に間に合う。途中、一緒に走っていた友人が言った。「もうさ、普通に“引きこも・・・・」

「あるいはそうかもしれない」、僕は少し焦り気味に友人の言葉を制した。なぜか村上春樹口調になっていた。

漫才ライブは大盛況だった。若手の「U字工事」などは圧巻で、大笑いしながらも頭の片隅にNのことが残っていた。そして大トリ、昭和のいる・こいる登場。

「しょうがない、しょうがない。」、僕が残したメモをNはもう読んだだろうか。のいる・こいるの漫才は全くの無内容で、全組合わせても一番、何も言ってなかった。味だけでここまで掴む芸は流石の一言。これを見たらNは救われたかもしれない。

2001年、秋。大学4年になっても僕らのお笑いサークルは解散していなかった。就職活動から一番縁遠い(卒業すら危ういものだった)Nと僕の二人は、学園祭で漫才をやることになっていた。しかしその直前、Nは突然の引退表明。「部長」「部長」と呼び慣れていた僕たちは戸惑った。「部長」と呼び続ける者、名前にさん付けで呼ぶ後輩、色々あったが、次第に僕が提唱した「ご隠居」という呼称が定着していった。Nはインポっぽいという理由から嫌がったが。

そして2003年、冬。立命館大学4回生から早稲田大学1回生となった「ご隠居」は、今や引きこも・・・いや、ホンモノの「ご隠居」になったわけだ。おあとがよろし過ぎるが、僕はもうしばらくNのことを笑ってい続けられそうだ。